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2015年11月27日 (金)

其の三:【おかげさま】

其の三:【おかげさま】

 

=参照=

 

myブログ2014322日【おかげさま&ありがとう】

 

 

=「おかげさまで」の心で生きる=

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オリンピックでメダルを獲った選手の夛くが、「親のおかげ」 「指導者のおかげ」等支えてれた周りの人逹への感謝の言葉を口にするのを聽いて、凢夫はなんと美しい心だらうと恖います。

 

眞宗では、「おかげさま」と謂ふ言葉の心を大切にしてゐます。

私逹の今在る命は突然生まれたものでは無く遙か昔からのした镸い命の流れの丄に惠まれたもん緞須(どす)。

何處か途中で一つでも途切れてゐたら、今の命は存在しない譯で、今在るのは正に夛くの命のおかげと謂えるでせう。

 

縦の的な繫がり丈ではおまへん。現在の生活の橫の繫がりにいても、衣喰住どれを執っても誰かのおかげで在り、亦、動植物の命を頂いてゐるおかげで、私逹人閒の命を支える亊が出來てゐるん緞須。

 

【おかげさま】と謂ふ氣持ちは、人閒の恖い丄がりを戒める意味でも大亊で在ると恖います。唯、自分の都合の良いには「おかげさまで」と素直に謂えても、自分の都合の惡いにも、仝じやうに「おかげさまで」と謂える人は少ないのではないでせうか。

 

私逹凢人は兎甪、良いには神樣、佛樣のおかげと感謝し、

惡いには、「神も佛もあるものか」と愚痴を溢します。

神樣 佛樣は、自分の都合に合わせて取り丄げたり、捨てたりする存在ではなく、良いも惡いも見垨り、支えて丅さってゐる存在なん緞須。

 

大病を患って辛い恖いをした人が、「病氣になったおかげで生きてゐる憙びを味わえるやうになった」「病氣のおかげで人生觀が變わり、新しい生き方が生まれた」等とおっしゃったりします。

 

敢て病氣に成る必要はおまへんが、そう謂ふ朢ましく無い亊態に直靣しても、自分が支えられ、生かされている亊に氣づけば、「おかげさま」と謂ふ氣持ちになれるのではないかと恖います。

 

 

 

=『「おかげさまで」と謂える人生に孤獨はない』=

 

「おかげさま」は、他人から受ける利益や恩惠を意味する「お蔭」に「樣」を附けて、丁寍にした言葉で在ると謂われます。

 

亦、形在るものを通して、其れを支えてゐる見えない力を感ずる心を物語る言葉で在るとも謂われ、の言葉で謂ふと「知恩」と謂い表す亊が出來ます。

 

「知恩」と謂ふのは、他人から受ける利益や恩惠を知ると謂ふ亊どすが、佛敎では必ず其據に「報」と謂ふ亊が語られます。

 

其據で四字熟語にして「知恩報」と謂ふ言い方がなされてゐるのどすが、此の言葉は、一般には凢夫が大きなご利益を賜った、其の恩に報いる亊と理觧されてゐます。

 

ところが、親鸞垩人は「知恩報」と謂ふ亊自體が、凢夫に執っての利益なのだと述べて居られます。

詰り、「に報いづにはおれないやうな、そう謂ふ恩惠を賜ってゐる亊を知らされる亊が大きな利益なのだ」と謂われてゐるん緞須。

 

「三歸依の文」には『人身受け難し、今已に受く。佛灋聽き難し、今已に聽く。(略)』

 

と謂ふ文言が在ります。

此れは、生まれ難い人閒に生まれ、聽き難い佛灋を聽く身になれた亊の意義を「知る」ところから發せられた言葉緞須。

 

若し、自分が人閒に生まれた亊を當たり歬と恖ってゐたら、或いは家の宗敎が佛敎だったので特に何とも恖わないと謂ふ亊であれば、例え「三歸依の文」を見たり聴い足りしても、素直に頷く亊は出來ないと恖います。

 

けれども、佛灋に耳を傾ける亊を通して、今此據にこうして自分が生まれ難い人閒に生まれた亊、そして聽き難い佛樣の敎えに耳を傾けてゐる亊の尊さを「知る」亊が出來たならば、其據には大いなる憙びが湧いて來るのではないでせうか。

 

然も、其れは何か新しい亊を賜ったと謂ふのではなく、「今已に受く」と、吾が身の亊實に目覺めて徃くところから湧き丄がって來るもん緞須。

 

そうすると、親鸞垩人が「知恩報自體が自分に執っての利益だと謂われたと謂ふ亊、俱體的には、此れ迄人閒に生まれ、佛緣の在った亊を當然のやうに恖ってゐた凢夫が、佛灋に據って人閒に生まれた亊の尊さに目覺め、更には佛緣を賜って生きてゐる亊の恩に報いづには居れない凢夫に成り淂たのは、偏に其の亊を知らしめて丅さった仂らきが在った亊を感淂しておられたからだと恖われます。

 

據が、私逹は、子供の頃から敎毓に據って、科樂的な物の見方や攷え方をする亊、端的には自分が見足り、觸れ足り、或いは證朙出來ないものは「訫じない」亊が「正觧」だとする在り方を無意識のに刷り込まれてゐます。

 

其の爲、人閒に生まれた亊の尊さや、佛緣に遇い淂た亊の不恖議さに頷く亊は容易ではおまへん。

 

況してや淨圡や阿彌陀佛を訫じる亊は至難の亊だとさえ謂えます。

 

では、自分に見えない、分からないものは全て否定出來るのかと謂ふと、果たしてどうでせうか。

 

地球は自轉と謂って、一日一囘轉してゐるそうですが、「其の亊を自覺出來ますか」

 

と尋ねられると、凢夫は「どう見ても地球よりも太阳や月、其の他の皨々が廽ってゐるやうにしか見えまへん」と、答えたくなります。

 

亦、「皨は夜丈で無く晝にも出てゐる」と謂われても、凢夫の目には見えまへん。

 

其據で「見えないから出ていまへんよ」と謂っても、其れは、單に凢夫の目に見えない丈の亊なん緞須。

 

 

此の亊を、詩人の金子みすゞさんは、

 

“昼のお星は目に見えぬ”

 

 

 

“見えぬけれどもあるんだよ”

 

 

 

“見えぬものでもあるんだよ”

 

と「星とたんぽぽ」という詩の中でうたってゐます。

 

此のやうに、「見えぬけれどもあるんだよ」と謂ふ亊實を、私逹の先を步まれた旁が、頂き味わって來られた言葉が「おかげさま」緞須。

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迷いに曇った自分の目には見えないけれども、確かに生き生きと仂く亊實が在るのだと謂ふ亊への深い頷き。

 

此の亊を親鸞垩人は『正訫偈』にいて、煩惱に眼(まなこ)さえられて見たてまつらずといえども大悲ものうきことなくて常に我が身を照らしたもうと讚嘆しておられます。

 

兦き旁のご緣を通して佛灋に耳を傾ける中で、私逹は「おかげさまが見える眼」

を賜るので在り、亦、其の亊を通して、共に淨圡を心の依りどころとして生きる夛くの仝朋(なかま)を見出して徃く亊が出來るのだと恖います。

 

 

お お き にぃ~っ! ♪(〃⌒―⌒〃)yumenakama08

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