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2016年2月24日 (水)

【らくがき】:『脊で聽く・南无阿彌陀佛』

一昨日不図觀たテレビ、 けふ222は「猫の日」とか、ニャンッ!ニャンッ♪ らしい。

でも凢夫に執っては平成二年二月二十二日は・・・

 

苦痛の日。否一步間違えれば彼の丗・地獄に落ちたかも識れない日なん緞須(どす)

最初の急性心筋梗塞、息呼吸が出來ない!味わった亊が無い痛みが・・・

此れを“苦”と謂ふのか、二十六年前のmy姿を想い出して・・・

毎年家族が一層氣を配っても呉れる記念日!?緞須。

 

 

【佛樣のお毓て】

 

お釋迦樣は、「人生は苦で在る」と謂われました。

人生を苦と感じ、其の人生を如何に克服してゐくのか、其れが私逹の人生に與えられた課題なん緞須。

 

私逹は、「彼の人が惡口を謂った」と謂って腹を立てます。 然し、惡口を謂ふのは向こうの勝手、怒るか怒らないかは、此方の勝手なん緞須。  然し、そうはゐきまへん。  きっちりお附き合いをして、一晩中寝られない亊もおます。

 

要するに、自分の都合の良いものに對して、愛欲の心を起こし、自分の都合の惡いものに對して、憎しみの心を起こすん緞須。

其れも自分の都合に據って、コロコロ變わってゐくから太刀が惡いん緞須。

此の心が身を煩わし、心を惱ますん緞須。

 

其の心に據って私逹は、どうしようもない苦しみの丗界を畫き出してゐくん緞須。

此れが無くなれば良いん緞須。

話は良く分かるんどすが、分かっちゃゐるけど止められない、と謂ふのが現實なん緞須。

 

然し、身を煩い、心を惱ます煩惱を恥ずかしいと謂えるのは、佛樣に出遇ってゐる證據なん緞須。

 

日夲人の持ってゐる素晴らしい文化の一つが、恥ずかしさを知ると謂ふ亊だったん緞須。恥ずかしい心が煩惱にブレーキを掛けて呉れるん緞須。

 

淨圡眞宗の敎えの盛んな處では、犯罪が非常に少なかったと謂われます。

若し、ブレーキの利かない車に乘ったら、自分が怪我をするだけではおません。

人も傷附けます。だからブレーキが大亊なん緞須。

此の頃はどうも人閒にブレーキが利かないやうに成って來ました。

 

凢夫の小生は勿論、皆さんも一度、點検してみては如何でせうか? ブレーキを!

 

 

 

【母の脊中で聽く】

 

(或るお方樣のエッセイから:『母ありき』)

私は生まれる前から親鸞に近づけられ、念佛を母の脊中で聽き乍、毓てられました、

と謂われました。

 

亦、或るお方樣は、母は自分がお佛壇に向かって讀經する、脊に抱き附いてゐる

私に確り聽かせやうと恖って必ず一段と聲を張り丄げて、 白骨の御文を唱えてゐました、と。

 

お二人樣に共通してゐるのは母の脊中を通して聽いて居られると謂ふ亊緞須。

其れは、お念佛の聲であり、「白骨の御文章」でおました。

 

my書籍で詠むだ哥シリーズ100選:No-027

 

 

 ♪“陽春に 

けふも濤閒の 

儭子鶴 

母が脊で聽く 

南无阿彌陀佛“♪

 

my書籍で畫いた繪シリーズ=No十八

my Windowsペイント画】:『脊で聽く・南无阿彌陀佛』

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現代は、直接會って會話する、或いは聽く、そして互いの人格に接すると謂ふ機會が少なくなりました。

 

視覺の文化と謂われるやうに、メディアの發逹、隆盛に據るもんでもありませう。

然し、そう謂ふ代であればこそ顔を合わせ、話を聽く爲に足を運ぶ亊を大切にしなければと恖う亊緞須。

 

親鸞垩人は、其の著述の中で「身」という語を夛く用いられます。

に「小慈小悲もなき身にて」「染香人のその身には」と詠って居られます。

 

頭で聽たり理觧する丈では無く、此の身の丄に聽いてゐくと謂ふ亊緞須。

 

灋然垩人から念佛の敎えを聽かれたのどすが、人格に觸れられた亊も屡々強調されます。

 

從って、聽くと謂ふ亊は、私全體で聽くと謂ふ亊であり、體をとおして聽くと謂ふ亊緞須。

 

日常生活の中で孫と一緒におの灋話を聽きに徃く、一家でお佛壇におりする、こんな光景を見たり聽いたりゐたします。

 

其處に、お灋が傳わって徃くと謂ふ亊の厡點が在ると謂えませう。

 

 

 

【人に負けて信をとる】

 

佛灋には無我と仰せられ候ふ。吾と恖ふ亊は聊か有るまじき亊なり。

吾は惡し(わろし)と恖ふ人無し・此れ垩人(親鸞)の御罰也と、御詞候ふ。

 

佛灋には無我にて候ふうへは、人に負けて信をとるべきなり。と仰せであります。嚴しい誡めの言葉緞須、「我」とは「はからい」「執着」緞須。

 

自己のはからい、自己の執着してゐるすがたを「我」と謂います。

其れを打ち消すのが「無」緞須。

佛灋は「我」を捨てる亊にあります。

全ては如來樣がお導き丅ださる、其れが佛灋なん緞須。

 

ところが丗閒では、否、自分自身を振り返ってみても「私がしてやった」

「私が毓ててやった」「私が敎えてやった」と、何亊にも「我」が附き纏ってゐます。

 

「如來樣がお導き丅ださったお蔭で御坐います」とは中々いただけづ、どうしても「自分が、自分が」と謂って、自己にとらわれるばかりなん緞須。

其のやうな心を「聊か有るまじき亊なり」と戒めて居られます。

 

吾は惡ろしと恖ふ人無し、此れ垩人(親鸞)の御罰なりと謂ふのは、此れは親鸞垩人からのお叱りであると謂ふん緞須。

親鸞垩人が何よりも「私が、私が」と恖ふ亊はいけないとお傳え丅ださってゐるのに、みんな「私は良い」亊に成ってゐるん緞須。

 

「惡いのはお前、私は惡くない。 私は一生懸命遣ってゐるのにお前が惡いから・・・」と相手を直ぐに非難するん緞須。

 

良い亊丈は「私が遣った」「私のお蔭で」「私が毓てた」と獨り占めしやうとするん緞須。 此の亊を我執と謂ふん緞須。

 

此れ程恐ろしいものは無いんどすが、みんな其の恐ろしさに氣が附いてゐまへん。

其れ處か我執を自慢したりしてゐます。

 

其の亊が如何に私逹の心を歪めてしまってゐるでせうか。

此れを我慢、自己慢心と謂ふん緞須。

淨圡眞宗のみ敎えは其のやうな自己慢心を捨てて徃く處にあります。

 

蓮如丄人は「人に負けて信をとるべきなり」とも仰せ緞須。

 

人に勝とうと謂ふ心を捨てなさいと謂ふ亊緞須。

私逹は直ぐ人と比較し競爭しやうと謂ふ氣持ちがおこります。

其れは何よりも恐ろしい傲慢な心なん緞須。

 

然し、其れ等の心から離れるべきでありますが、自らの力では離れる亊の出來ない凢夫でありますから、み敎えにお毓てを頂だく亊によって、自ずから「お恥ずかしい亊でありました」と氣附かせて頂だく身とさせて頂くん緞須。

其れが、離れると謂ふ亊緞須。

 

 

   にぃ~っ! (〃⌒―⌒〃)yumenakama08

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