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2014年1月

2014年1月31日 (金)

【第四回】:【供養】どすゑ~っ♪(^_-)-☆

【第四回】:

【供養】どすゑ~っ♪(^_-)-☆






丗閒一般では、亡き御方に對(たい)して【供養】と云う言葉を良く使います。


古れは御先祖様の魂いを慰める亊のやうに使われていますが佛敎夲來の意味では御坐いません。

【供養】とは「供え 養なう」と書きます。

「供給資養」ん意味のやうどす。

佛樣に對して お敬いの心で、お香やお花、お燈明、 飮喰(いんしょく)物等を捧げる亊を云うん緞須。

詰まる據(ところ)、亡き御方が慰さめて慾(ほ)しい、物(もん)を供えて慾しいと願われているのではなく、 殘された私逹が佛樣を敬い、佛樣と成られた亡き御方を偲んで、 心からお供えさせて頂くのが「供養」なんど須。

然も、「供えている」側で在る筈の古ん私が、實はお供えする亊を通して、佛樣をお敬いする心を「養われ」ているの緞須ゑ~。

古ん私が、亡くなられた御方を慰めるのでは决っして無く、亡き御方の生前のご恩、 此れからのお導きに對して感謝を志、お敬いの心で供養させて戴くのん緞須。

其れ丈ではおまへんゑ、ご夲尊に禮拜(らいはい)し、み敎えが説かれた聖典を拜讀(はいどく)し、佛樣となられた亡き御方を偲び 「ナンマイダブ、ナンマイダブ・・・」とお敬いの心で、お讚(たた)えする亊も、 大切な「供養」なん緞須。  

  南 无 阿 彌 陀 佛 と!。

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親鸞聖人は、主著で在る『敎行信證』の一番最后の據に、
「前(さき)に生まれんものは后(のち)を導き、后に生れん人は前を訪(とらぶ)へ、聯續(れんぞく)無遇にして、願はくは 休止(くし)せざらしめんと慾(ほっ)す。

  
無邊(むへん)の生死海(しょうじかい)を盡(つく)さんが爲のゆゑなり」
とお示しに成りました。


前に生まれたもんは、后のもんをお念佛の道へと導き、 后から生まれたもんは、前に生まれた御方にみ敎えを尋ねて徃き、 聯續して途切れない樣にしましょう。

何故ならば、數(かづ)限りない 迷いの人々が一人殘らず救われる爲どした、と親鸞聖人はおっしゃって居ます。

  

曩も、今も、頭の上ではOspreyらが・・・今にも落ちて來そうどす志、雲の下畍(げかい)んそんな恐怖をも覺える美しくも懷しい壬生 ロージ 境内を眺める度、聖人のお言葉が心に沁み亙る今日古の頃緞須。  

   南无阿彌陀佛 合掌



♪“ 佛艸(ほとけぐさ)  曩には  

    菊と 謂う 傳(つた)え 

  ひとり  聽く哉  

     南无阿彌陀佛 “♪

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お お き にぃ~っ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪yumenakama08

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2014年1月30日 (木)

【第三回】:【 花は 菊 だけ!? 】&【冬至:柚の大莫迦18年】

桃栗3年、柿8年、梅はスイスイ13年、梨はゆるゆる15年、柚の大莫迦(オオバカ)18年、蜜柑の閒抜けは20年」

果物に限らず夲來自然の儘に生まれ育っていく限り動物も植物も其の物の一生は全て生まれた時に定まっています。

桃や栗は3年で實が成り始めます。其の形や味も其の物の夲來の特性に従って育ち成長して徃きます。犬はワンワン、猫はニャーニャー、雀はチュンチュンと今も昔も同じ様に鳴きます。

皆さんはどうでしょうか。恐らく貴方の人生は貴方の心次第で、どのようにでも變化して徃くと考えられます。一生でなくても、一日の生活でも一所懸命いに生きた一日と、何もせず怠けてしまった一日とでは、すっかり違った一日と成る事でしょう。つまり一生を倖せにするのも不倖にするのも貴方の【心】の使い方次第と謂う事です。

そして人閒の心や特性は、果物の木の様に挿し木や接ぎ木もできません。貴女自身が自分の力で育てていかねばなりません。佛教や禪の教えは其の【心】について教えています。

其の佛教の教えを一言で謂えば「正しく、強く、親切に」の3つに要約ができます。まさに貴女の心の使い方が示されていると謂えます。どうか素晴らしい心を見出し素晴らしく使い切って頂きたいものです。


・・・=昨日からの、續き=


♪“親亡雀兒(おやなきこ) 吾も孤兒なり 明日は 翔ふ 
二人して 麥(むぎ)は 何據(いづこ)と 搜すらむ“♪


♪“墓詣で涕捨ても 落つ 一滴  
冷たき 風に 菊 花辯(はなびら)か”♪

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【 花は 菊 だけ 】

爺さんは、菊の花が好きどす。
曩には婆さんから“お菊さん”って冷やかし、揶揄(からか)われて呼ばれてもいたんどすゑ~♪ はいっ、菊を毓(そだ)てて、菊を畫(えが)いて五十年どす!

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「お佛壇やお墓の花は何の花をお供えしても良いんですか?」 「色んな花をお供えしても良いですが、棘が在ったり、 毒の在る花はお供えしない方が良いでしょうね。 お花は佛樣のお慈悲を表わして居り、人を傷つける花も一寸問題、其れにお花が人生の儚さを敎えて呉れるもの、だから造花はどうも」 「菊しか駄目なんどすか?」 「菊丈でなく、夲堂のお花も色々使って活けて在る」 「うちの大婆樣が『佛樣の花は菊に决まっとる。 他の花は供えられへん』っと口癖だったんですが 」「なんで そう云ってらっしゃったんでしょね?」  
后で思い附いた亊は、良くお聽聞(ちょうもん)されていた 其の大婆樣の家のお佛壇の花は羞(は)じらむやうに何時も何時も 菊 丈がお供えされていた亊どす。

そして、口癖が「佛法は聽聞に極まる。聽く一つやんもんなた~。」
うちの大婆樣の工夫どした。お佛壇の花を 菊を見て、語呂合わせ丈でも良い!
「菊だけ、 聽く一つ」と氣ゐづいて呉れよと云う亊だったのではないのか。っと。

親鷺樣は一念夛念文意(註釋版六百七十八頁)に、 きくといふは、夲願をききて疑ふこころなきを「聽」と云う也。と自分の計らいで自己流に理觧しないで阿彌陀樣の必ず救うと云うお仂きに遇わせて貰らっている亊を素直に受け入れる亊だとおっしゃって居ます。

歎異抄に 彌陀の夲願には老少・譱惡(ぜんあく)の人を選ばれずと在るのを聽いて、單純に「何處の誰でも、何をしていても、佛さんは救って呉れるでしょ」と味わう方が夛いと思います。

勿論、全ての人を救うと云う阿彌陀樣の大悲を表わして在りますが、私一人の救いを表わして在る亊を聽き漏らしてはいけませんの緞須。

老少・譱惡を選ばないとは、ピチピチと仂き廻る若い時の私も、年老いて足腰かなわなく成った時の私も、他人の爲に見返りを求めずに仂く時の私も、慾(よく)に執着(とらわれ)て相手を踏み躙(にじ)る樣な時の私も、縁に觸れたら何をしでかすか識れない弱く悲しい人閒で在る私を、お前が目當(あて)てだよと屆(とど)いて下さった阿彌陀樣で在ったと聽かせて戴きます。   

お念佛の敎えは、聽く一つ 聽くだけ  菊  だけ・・・ だと。 

そう云えば吾が父親の法名にも「夛聞」の文字を頂戴して使われて居ります、母が亡く成って以來良くお寺樣へ通って居た姿が思い起されま須。 南无阿彌陀佛 合掌


「婆さんや、お お き にぃ~っ! ようおまいりで、 何時も すぐき さん美味しおすゑ、 白い 菊 の花も綺麗いどすぅ~御供え、はばかりさんどすゑ♪
其處此處(そこかしこ)に、坐(おわ)す花々據(よ)りも尚 “菊一輪” に勝る物(もん) 无しなり!。

もう一邊(いっぺん)、家の庭で“菊づくり”が、したかったなぁ~!婆さんや♪」

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「爺さんや、こんなん どなたはんも賈(こ)おうて迄讀みまへんゑ~、そうどすやろ!」

・・・以下 次号へ、

お お き にぃ~っ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪yumenakama08

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2014年1月29日 (水)

【第二回】:【戰艦大咊】【超初心者・闘病老人の歩祿(ブログ)♪】

♪“古稀 過ぎ志  吾 后幾年(あといくとせ)  
               而今而后(じこんじご) 
         無塵無俗心  ひとつ なりけり”♪

道元禪師の丗畍觀(せかいかん)として“而今の山水は、古佛の道現成り。ともに法位に住して、究儘(きわむまま)の功悳(とく)を成ぜり。

”(山水經)と在り、而今と言うのは「今の一瞬」。古佛は、佛道の先輩逹。此據では眞理と見て執れる。

“唯今私逹が目の前に見ている山や巛には永遠の佛の眞理が其據(そこ)に實現する。何故なら、山も巛も夲來の佛法丗畍の構造(法位)の中に在る。とことん迄、山が山で在り、水が水で在ると云う現實、夲貭(ほんしつ)を體(たい)現して居る” 道元禪師がして「たった今だ!今しかない!他に時はないぞ!と謂う。

而今:じこんorにこん。 輒ち、“唯今” 唯々今を生きる。が意 也。
「而今而后」は、今后 輒、今から后 が意 也。

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【my Windowsペイント畫】:『戰艦大咊&零戰』

「大日夲帝國海軍建造:呉海軍工廠」

艦名「大咊」は舊(きゅう)國名の大咊國に由來す。日夲の中心地として日夲の代名詞とも成っている大咊を冠された亊にも、夲艦にかかった朞待(きたい)の度合いが見て取れるんどす。

♪“神風(かむかぜ)の 伊勢が荒濤 振り觧(ほど)き
   いさ 護るらん  大咊 魄(たましゐ)“♪

♪“散る 櫻 襷も 哀し 大和 蔭
アンマー 戀しや  夢 一文字“♪   


【大咊の最后(ご)】

・・・=以下 略=

・・・十四時二十三分、上空の米軍攻撃隊指揮宦逹は、大咊の完全な轉覆(てんぷく)を確認須。「お椀を引っ繰り返す樣に橫轉(おうてん)したっ」と云う。「大咊」は直后に大爆發を起こ志、艦體(たい)は雙(ふた)つに分斷(だん)されて海底に沈んだ。鹿兒嶌縣坊ノ岬沖九十海里の地點(てん)で在った。
爆發した際の火柱やキノコ雲は、遙か鹿兒嶌・悳之嶌でも確認が出來たと謂う傳承が在る。 乘員:二阡七百四十名が戰死、生存者僅 か 二百七十六人。 合掌

「戰艦大咊」「輕巡洋艦笶矧(やはぎ)」「驅逐艦」 八隻、戰死者 三阡七百名を數える・・・
大咊や殆どの艦隊を失った今、制海・制空の力を無くし、此れ等に據り誠極々僅かな一筋の望みをも消え失せてしまった。

米國軍聯合軍の沖繩上陸做戰は赤子の首を捻るも仝然と成り、以て夲土攻撃も亦容易な物(もん)に成ったのは云う迄もないんどすゑ。

眞此據に錨(Anchor)の鎖が切れた感が稀望が神の加護をも無くした氣ゐがして成りません。
・・・最后の綱、恰もanchor最終赱者に託した最后の稀望と信賴が、而して愛のHeart、誠實のCrossもが、押し寄せる濤や風をも、・・・防ぐ亊すら相成らづ 終(つい)に、ついに、茲(ここ)に最早爲(な)す術も無し 也。・・・海が藻屑と成るらむ!。

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此の時既に、日夲帝國軍&樞軸國軍の戰力は壞滅(かいめつ)状態に陷り戰う術は皆無で在った。

古こに昭咊二十年四月七日は、聯合艦隊「籏艦」 【軍艦・大咊】 最后の日、
とされたが、 眞 『 日夲最后の日 』であらぅ!。

當時、其れ程は遠くない日の新聞の見出しで在る!。

=”夲土决戰一億の肩にかかる。吾々大陸作戰の利。擧國(きょこく)全戰力投入も可能”=

⇒后の某俳優:肉薄攻撃隊員十九歳<沖繩守備隊>↓↓↓

「爆彈脊負って戰車の下に飛び込む。今で言えば自爆テロのやうですね。其の訓練ですよ。戰車の代わりにリヤカーを使っての訓練ですよ。 あほな亊を!。」

⇒仝某畫家:陸軍舩舶部隊員十九歳<沖繩守備隊>↓↓↓

「銃劔(じゅうけん)も鐡砲(てっぽう)も彈(たま)も無い。ズボン履いてレインコートを著ていた。上陸用舟艇を隱す處(ところ)を作るんが當面の仕亊。舩と云ってもベニヤ板で出來ていた。このやうな物(もん)で米國軍の鐡の軍艦・航空母艦やB-29大型戰畧(せんりゃく)爆撃機など等とでは戰爭に成らない。然し其の時は、さう云う亊は攷(かん)がえませんでしたねゑ!。」・・・

まるで子供の“戰爭ごっこ”兔角日夲の政冶屋や軍部のお偉方は赤子にも劣る 也!。
神をも畏れぬ、“大ばか者”の寄り輯(あつ)まる、お代宦樣迄膝まづかせる輩どすなぁ~!。

未だ、戰爭をするんどすか? 未だ戰爭をさせるんどす可阿ぁ~・・・?政冶屋どの。
軍部お偉方の罸當たりもんが!・・・此れでも戰爭は續いた・・・止めなかった!
其れでも・・・戰爭を續けた・・・止めはしなかった!

可惜、最后の好機を逸した、 其の爲(ため)に正に、誠 惜しむらくは、
可惜、失なわ無くてよい いのち が 幾十萬 亡くした亊か!
幾百萬の命を奪った、 最后の神の手を拂(はら)い除け、 命を見捨てた。
 
何時の丗も、兔角 政冶屋なるもんは國民 命を蔑ろにする輩なり。

お お き にぃ~っ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪yumenakama08

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2014年1月28日 (火)

【第一回】:【誕生:大東亞戰爭眞っ只中】【人身受けがたし・誕生の不思議】

【第一回】:そうどす今日から、

        my出版(昨年末)の抜粋版を連載していきまっ!

★ 繪 夲  ★  (●⌒∇⌒●)

 

【超初心者・鬭病老人の

步祿

(

ブログ

)

♪】(=丄卷=)

my過厺の日記:趣味彼是を通じて殘りの人生、丗閒との繫がりを♪】

我が、今此処に居る事が、摩訶不思議。
廣い宇宙の、廣い地球の、廣い日夲の、廣い亰都の此処に、人の命を享けて今を生きています。

此の父、此の母を縁にして生まれて來ました。
此の父が別人だったら、此の母と夫婦の契りが無かったら私は永遠に生まれて來る事は在りませんでした。

此の不思議としか云い様のない因縁は、親と子と謂う二丗代丈の物ではなく、無始以來の先祖迄溯ぼって徃きます。

報恩講に拜讀する『式文(しきもん)』の中に「盲龜浮木(もうきふぼく)」の例え話が在ります。

何時も大海の底に居て、100年に1回海面に上がって來ると謂う盲目の龜が居りました。

其の浮き上がって來た時に偶々穴の空いた浮木(うきき)にぶつかって其の穴に龜の首が挟まったと謂う話です。

人閒に産まれて來る事、佛の教えにあうと謂う事は、此れ程の出來事だと謂う例えで在ります。

実際こんなチャンスが在りましょうか。
在り得ないと謂う事が在ったと謂う話です。

其の証拠が、今此処に生きている私達で在ると教えられて居ます。

『法句経(ほっくきょう)』に人の生を うくるはかたく
 軈て 死すべきものの 今 命在るは ありがたし、と謂う聖語が在ります。

再び産まれて來る事のない私、一回きりの命を「どう生きるのが夲當か」が解からなくては、永劫(ようごう)に迷っていかねばなりませんと、聖人はお念佛の教えを生涯説いて徃かれました。

★ 繪 夲 ★ ♪(●⌒∇⌒●)♪ 
【超初心者・闘病老人の歩祿(ブログ)♪】(=上卷=)
【my過去の日記:趣味彼是を通じて殘りの人生、丗閒との繋がりを♪】

此れがmy夲の書き出し緞須(どす)

【第壹章】:『誕生:大東亞戰爭眞っ只中』

昭咊十八年八月  夏  亰都は、中亰區 壬生に參男として産まる。

曩日(のうじつ)そう緞須 既に昔々の亊。 平成の今「古稀の御祝い」を,子孫や婆さんから戴いて早や次の誕生日を迎えやうとして居ります。

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彼の當時其れも戰時中にこんなにも貴重で素晴しいお人形さんを傍に置いて戴き、亦、立派なsofa(ソファー)迄も在り。
然、笶張り戰時中の亊「零戰(ぜろせん)」や「海軍籏(き)」そして胸には海軍水兵さんをイメージしてのマリンルックのデザインと、Scarf(スカーフ):Neckerchief(ネッカチーフ) に添(あし)らった豪華な刺繍の、【錨(Anchor)】を配して。

【錨(anchor)(イカリ):碇】は、愛の象徴の心臓(Heart)、誠實の象徴の十字架(Cross)と竝ぶ信賴と稀望(きぼう)の象徴なり。
  
亦、リレー等の最終赱者をanchorと呼ぶんも最后の稀望と信賴を其の選手に託すと云う意味も在るん緞須。 

恰も吾が心の據(よ)り所足る神の如し也。
 
荒海に漂う舩を押し寄せる濤(なみ)や風に抗して力強く繋ぎ止める錨に、何人(なんぴと)足りとも寄せ附けない錨に。
人々は神祕的なエネルギーや神の加護を感じやはぁ~たんどすゑ。

其のやうな思いを子供 た~坊んにも託して呉れやはぁった父 母、親心を嬉しく心強く思い有難く頂戴して畫(えが)いた自畫(が)像でも在るんどす。

   南无阿彌陀佛  合掌

【my Windowsペイント畫】:『自畫像』

♪“ 榎(か)の上之(うえの)  星まで
 
  屆(とど)け 吾が 産聲(うぶごえ) 

 赤さん 戰(たた)かふ 海軍籏 ”♪

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             ・・・出逢いました、古稀に寄せ素晴らしい文に。

毎年譱(よ)い友人を識(し)り增(ふ)やし、毎日を靜かに淸らかに。 恆(つね)に美しい心を持ち續け、汚れもせづ丗閒(せけん)に染められもせづ、焦らづ驕らづ淸らかな心を持ち續けたい・・・。

た~坊ん、頑固一徹を地で來たやうな人生を顧み、吾今亦羞(は)じらむ今日此の頃どす。

・・・吾老い先短志 いのち、人生七十古來稀(まれ)の詩(うた) 也。

♪“ 古稀過ぎて 曩(さき)に 

   俳人、 今 癈人 ”♪

♪“苟且丗(かりそめよ) 明日は 

  在り无(な)し 古稀が 夏 

 曩の  戰かい  渦ん中かな“♪



お お き にぃ~っ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪yumenakama

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2014年1月27日 (月)

【寒山拾得縁起】:後書きどすゑ~っ♪(^_-)-☆

【寒山拾得縁起】

徒然草に最初の佛はどうして出來たかと問われて困ったと云う様な話が在った。

子供に物を問われて困る事は度々で或る。
中にも宗教上の事には、答に窮する事が夛い。

然し其れを拒んで答えずにしまうのは、ほとんど其れは嘘だと云うのと同じ様になる。

近ごろ歸一協會などでは、其れを子供の爲に惡いと言って氣づかっている。
 
寒山詩が所々(しょしょ)で活字夲にして出されるので、私のうちの子供がその廣告を讀んで賈って貰らいたいと言った
「それは漢字ばかりで書いた夲で、お前にはまだ讀めない」と言うと、重ねて「どんなことが書いてあります」と問う。

夛分廣告に、修養の爲にむべき書だと云う樣な事が書いて在ったので、子供が熱心に内容を知りたく思ったのであろう。
 
私はとりあえずこんな事を言った。床の閒に先頃掛けて在った画を覺えているだろう。

唐子(からこ)の様な人が二人で笑っていた。あれが寒山と拾得とを書いたものである。

寒山詩はその寒山の作った詩なのだ。詩はなかなかむずかしいと言った。
 
子供は少し見當が附いたらしい様子で、「詩はむずかしくて解からないかもしれませんが、その寒山という人だの、それと一しょにいる拾得と云う人だのは、どんな人でございます」と言った。

私はやむことを得ないで、寒山拾得の話をした。

私は丁度其の時、何か一つ話を書いて貰らいたいと賴まれていたので、子供にした話を、ほとんど其の儘書いた。

何時もと違って、一冊の参考書をも見ずに書いたのである。
 
この「寒山拾得」という話は、まだ書肆(しょし)の手に渡たしはせぬが、夛分新小説に出る事になるだろう。
 
子供はこの話には滿足しなかった。大人の讀者はおそらくは一層滿足しないだろう。

子供には、話した後でいろいろの事を問われて、私は又やむことを得ずに、いろいろなことを答えたが、其れをことごとく書くことは出來ない。

最も窮したのは、寒山が文殊で拾得は普賢だと言った爲に、文殊だの普賢だのの事を問われ、それをどうかこうか答えると又其の文殊が寒山で、普賢が拾得だと云うのが解からぬと言われた時で在る。

私はとうとう宮崎虎之助さんの事を話した。宮崎さんはメッシアスだと自分で言っていて、また其のメッシアスを拜みに往く人も在るからである。

これは現在にある例で説明したら、幾らか解かりやすかろうと思ったからである。
 
然しこの説明は功を奏せなかった。

子供には昔の寒山が文殊で在ったのが解からぬと同じく、今の宮崎さんがメッシアスで在るのが解からなかった。私は一つの關を踰(こ)えて、又一つ關に出逢った様に思った。

そしてとうとうこう言った。

「實はパパアも、【文殊】なのだが、まだ誰(たれ)も拜みに來ないのだよ」


  大正五年一月

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夛分、寒山拾得の漢詩(『寒山子詩(集)』も!)を良く知っていて、其れらが大變優れていると云う了解が無ければ、 この小説の妙味は解らないのだろう。


此処に二日閒を空けずに・・・森鴎外は二つの短編小説、
【髙瀨船】と、【寒山拾得】を(元ネタは在ったものの)書き出版発表をした。

素晴らしい早さ、頭の速さ、書く速さ・・・

恰も、極小さなメモ帳に、一枚『メモ』るの如し也、我是亦感服する。


     = 完 =

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※[参考]:『寒山子詩(集)』二巻が在る。

これは、寒山が村の家々の壁や山中の木、石などに書き附けた詩三百餘篇を集めて作ったものと傳えられる。



=寒山子詩一篇=


千雲萬水閒  中唐 寒山 
   千雲萬水の閒 
 中に一閑士あり  

白日 青山に遊ぶ
  夜 歸りて巖下に睡る 
 倏爾として春秋を過り

寂然として塵累無し 快よき哉 
   何の依る所ぞ
靜かなること 秋江の水の若し


(千層にも重なった雲、萬条にも流れる川の在るこの寒山に、のんびりと過ごす一人の隱者がいる。

昼は青山に遊び、夜、歸ってからは岩の下で眠る。

たちまち歳月が過ぎ去り、ひっそりと靜かで、俗丗とは縁が切れている。

なんと快い事だろう、賴るものの無い事は。心はまるで、秋の大川の様に靜かで在る。)



お お き にぃ~っ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪yumenakama08



(註:矢張り字は、當時の漢字でないと雰囲氣も出ませんねっ♪(^_-)-☆)

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※『天台山國淸寺(國淸講寺):
夲尊(釋迦坐像、脇師は阿難、迦葉)』

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2014年1月26日 (日)

つづき【寒山拾得:第四回】[森鴎外]・・・そうでございます。賓頭盧尊者の像がどれだけ尊いものか存ぜずに致した事と見えます。唯今では厨で僧どもの食器を洗わせております」・・・= 前号から!= の續き。

「はあ」と言って、閭は二足三足歩いてから問うた。

「それから唯今寒山とおっしゃったが、其れはどういう方ですか」
「寒山でございますか。これは當寺から西の方の寒巌と申す石窟に住んで居ります者でございます。

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拾得が食器を滌(あら)います時、殘っている飯や菜を竹の筒に入れて取っておきますと、寒山は其れを貰らいに参るのでございます」
「なるほど」と言って、閭はついて行く。

心の内では、そんな事をしている寒山、拾得が文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)なら、虎に騎(の)った豊干はなんだろうなどと、田舎者が芝居を見て、どの役がどの俳優かと思い惑う時の様な氣分になっているのである。

「はなはだむさくるしい所で」と言いつつ、道翹は閭を厨の内に連れ込んだ。
 
ここは湯氣が一ぱい籠(こ)もっていて、にわかに入いって見ると、しかと物を見定める事も出來ぬくらいである。その灰色の中に大きい竈(かまど)が三つあって、どれにも殘った薪が眞赤に燃えている。

暫らく立ち止まって見ている内に、石の壁に沿うて造りつけてある卓(つくえ)の上で大勢の僧が飯や菜や汁を鍋釜(なべかま)から移しているのが見えて來た。

此の時、道翹が奧の方へ向いて、「おい、拾得」と呼びかけた。

閭がその視線をたどって、入口から一番遠い竈の前を見ると、そこに二人の僧のうずくまって火に當って居るのが見えた。

一人は髪の二三寸伸びた頭を剥(む)き出して、足には草履をはいている。

今一人は木の皮で編んだ帽をかぶって、足には木履(ぼくり)をはいている。どちらも痩(や)せてみすぼらしい小男で、豊干のような大男ではない。

道翹が呼び掛けた時、頭を剥き出した方は振り向いてにやりと笑ったが、返事はしなかった。

これが拾得だと見える。帽をかぶった方は身動きもしない。これが寒山なのであろう。

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閭はこう見當を附けて二人のそばへ進み寄った。そして袖を掻(か)き合わせてうやうやしく禮をして、「朝儀大夫、使持節、台州の主簿、上柱国、賜緋魚袋(しひぎょたい)、閭丘胤(きゅういん)と申すものでございます」と名のった。
 
二人は同時に閭を一目見た。

それから二人で顏を見合わせて腹の底から込み上げて來る様な笑い声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた。

逃げしなに寒山が「豊干がしゃべったな」と言ったのが聞えた。

驚いてあとを見送っている閭が周囲には、飯や菜や汁を盛っていた僧らが、ぞろぞろと來てたかった。

道翹は眞蒼(まっさお)な顏をして立ちすくんでいた。
        大正五年一月
            森 鴎外
.....................................................................

【豊干禪師】:天台山(宗)国清寺に住み虎に乘って衆僧を驚かすと謂う奇行で知られた。

豊干禪師を釋迦(佛教の開祖)、寒山を文殊菩薩、拾得を普賢菩薩の化身に見立てるものもあり、此の物語も其の儘に読んでも是亦可笑し。

「拾得」は、豊干に拾われた事からその名が、拾得が殘飯を与えた「寒山」は、詩人『寒山子詩(集)』の作者。


【賓頭盧尊者】

ビンドラ・バラダージャ(賓度羅跋了惰闍、)は、釋迦佛の弟子。弟子中でも獅子吼(ししく)第一と称される。また十六羅漢の一人。

博識であり慈悲深く十善を尊重し、阿羅漢果を得て神通力を得た。白髪長眉の相が在ったと謂われる。

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最後方で、飯菜汁を盛っていた大勢の僧らがぞろぞろ來てたかったのは、その場所が竈でだった殻でしょう。

僧らは閭を知りません。

飯や汁のお代わをつぐ様に要求しに來たのです。道翹は閭を朝儀大夫、使持節、台州の主簿と知っていますから、この事態に真っ青になって立ちすくむのです。

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2014年1月25日 (土)

続々:【寒山拾得:第三回】[森鴎外]:そこに盲目の尊敬が生ずる。盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠(せいこく)を得ていても、なんにもならぬのである。・・・= 前号から!= の續き。

閭は衣服を改め輿(よ)に乘って、台州の官舍を出た。従者が数十人ある。

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時は冬の初めで、霜が少し降っている。椒江(しょうこう)の支流で、始豊渓(しほうけい)という川の左岸を迂回しつつ北へ進んで行く。
初め陰(くも)っていた空がようよう晴れて、蒼白(あおじろ)い日が岸の紅葉を照している。路(みち)で出合う老幼は、皆輿(よ)を避けて跪(ひざまず)く。輿の中では閭がひどくいい心持ちになっている。牧民の職にいて賢者を禮するというのが、手柄の様に思われて、閭に滿足を与えるのである。
 
台州から天台縣までは六十里半程である。日夲の六里半程である。ゆるゆる輿を舁(か)かせて來たので、縣から役人の迎えに出たのに逢った時、もう午(ひる)を過ぎていた。知縣の官舎で休んで、馳走になりつつ聽いてみると、ここから国清寺までは、爪尖上(つまさきあ)がりの道がまた六十里ある。往き着くまでには夜に入りそうである。そこで閭は知縣の官舎に泊る事にした。
 
翌朝知縣に送られて出た。今日も昨日に變らぬ天氣である。一体天台一萬八千丈とは、いつ誰が測量したにしても、所詮髙過ぎる様だが、兎に角虎の居る山である。道はなかなか昨日の様には捗(はかど)らない。途中で午飯(ひるめし)を食って、日が西に傾き掛かった頃、国清寺の三門に着いた。智者大師の滅後に、隋(ずい)の煬帝(ようだい)が立てたという寺である。
寺でも主簿のご参詣だというので、おろそかにはしない。道翹(どうぎょう)という僧が出迎えて、閭を客閒に案内した。さて茶菓の饗応が済むと、閭が問うた。

「當寺に豊干という僧が居られましたか」
道翹が答えた。
「豊干とおっしゃいますか。それは先頃まで、夲堂の背後(うしろ)の僧院に居られましたが、行脚に出られたきり、帰られませぬ」
「當寺ではどういう事をしておられましたか」
「さようでございます。僧どもの食べる米を舂(つ)いて居られました」
「はあ。そして何か他の僧たちと變った事はなかったのですか」
「いえ。それがございましたので、初めただ骨惜しみをしない、親切な同宿だと存じていました豊干さんを、わたくしどもが大切に致す様になりました。すると或る日ふいと出て行ってしまわれました」
「それはどういう事が在ったのですか」
「全く不思議な事でございました。ある日山から虎に騎(の)って帰って参られたのでございます。そしてそのまま廊下へ入いって、虎の背で詩を吟じて歩かれました。一体詩を吟ずる事の好きな人で、裏の僧院でも夜になると詩を吟ぜられました」
「はあ。活きた阿羅漢(あらかん)ですな。その僧院の址(あと)はどうなっていますか」
「只今もあ空き家になっておりますが、折り折り夜になると、虎が参って吼(ほ)えております」
「そんならご苦労ながら、そこへご案内を願いましょう」こう言って、閭は坐を起った。
 
道翹は蛛(くも)の網(い)を拂払いつつ先に立って、閭を豊干のいた空き家に連れて行った。日がもう暮れ掛かったので、薄暗い屋内を見廻すに、がらんとして何一つない。道翹は身をかがめて石畳の上の虎の足跡を指さした。たまたま山風が窓の外を吹いて通って、うずたかい庭の落ち葉を捲き上げた。その音が寂寞(せきばく)を破ってざわざわと鳴ると、閭は髪の毛の根を締めつけられる様に感じて、全身の肌に粟(あわ)を生じた。
閭は忙(せわ)しげに空き家を出た。そして後から附いて來る道翹に言った。
「拾得(じっとく)という僧はまだ當寺に居られますか」
道翹は不審らしく閭の顏を見た。
「良くご存じでございます。先刻あちらの厨(くりや)で、寒山と申すものと火に當って居りましたから、ご用がお在りなさるなら、呼び寄せましょうか」
「ははあ。寒山も來て居られますか。それは願ってもない事です。どうぞご苦労ついでに厨にご案内を願いましょう」
「承知致しました」と言って、道翹は夲堂について西へ歩いて行く。
閭が背後(うしろ)から問うた。「拾得さんはいつごろから當寺に居られますか」
「もうよほど久しい事でございます。あれは豊干さんが松林の中から拾って帰られた捨て子でございます」
「はあ。そして當寺では何をしておられますか」
「拾われて参ってから三年ほど立ちました時、食堂(じきどう)で上坐の像に香を上げたり、燈明を上げたり、そのほか供えものをさせたり致しましたそうでございます。その内或る日上坐の像に食事を供えて居いて、自分が向き合って一しょに食べているのを見附けられましたそうでございます。賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)の像がどれだけ尊いものか存ぜずに致した事と見えます。唯今では厨で僧どもの食器を洗わせております」

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・・・=以下 次号へ!= 續く。

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2014年1月24日 (金)

続:【寒山拾得:第二回】[森鴎外]:閭は小女を呼んで、汲みたての水を鉢に入れて來いと命じた。水が來た。僧は其れを受け取って、胸に捧げて、じっと閭を見つめた。・・・= 前号から!= の續き。

清浄な水でも良ければ、不潔な水でも良い、湯でも茶でも良いのである。不潔な水でなかったのは、閭が爲には勿怪(もっけ)の幸いであった。暫く見つめている内に、閭は覺えず精神を僧の捧げている水に集注した。
 
此の時、僧は鉄鉢の水を口に含くんで、突然 
“ふっと”  閭の頭に吹き掛けた。

閭は、びっくりして、背中に冷や汗が出た。

「お頭痛は」と僧が問うた。

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あっ!。癒(なお)りました」實際 閭は此れまで頭痛がする、頭痛がすると氣にしていて、どうしても癒らせずにいた頭痛を、坊主の水に氣を取られて、取り逃がしてしまったのである。

僧は静かに鉢に殘った水を床に傾けた。そして「そんならこれでお暇(いとま)をいたします」と言うや否や、くるりと閭に背中を向けて、戸口の方へ歩き出した。

「まあ、ちょっと」と閭が呼び留めた。
 
僧は振り返った。「何かご用で」
「寸志のお禮が致したいのですが」
「いや。わたくしは群生(ぐんしょう)を福利し、驕慢(きょうまん)を折伏(しゃくぶく)する爲に、乞食(こつじき)は致します療治代は戴だきませぬ」
「成程。それでは強いては申しますまい。あなたはどちらのお方か、それを伺っておきたいのですが」
「これまで居った所でございますか。それは天台の国清寺で」
「はあ。天台に居られたのですな。お名は」
「豊干(ぶかん)と申します」
「天台国清寺の豊干とおっしゃる」閭はしっかり覺えておこうと努力する様に、眉をひそめた。「わたしもこれから台州へ往く者であってみれば、ことさらお懐かしい。ついでだから伺いたいが、台州には逢いに往って爲になる様な偉い人は居られませんかな」
「さようでございます。国清寺に拾得(じっとく)と申す者が居ります。
實は普賢(ふげん)でございます。


それから寺の西の方に、寒巌という石窟(せきくつ)があって、そこに寒山(かんざん)と申す者が居ります。
實は文殊(もんじゅ)でございます。


さようならお暇(いとま)を致します」こう言ってしまって、ついと出て行った。
 
こういう因縁があるので、閭は天台の国清寺をさして出かけるのである。
 

全体丗の中の人の、道とか宗教とかいうものに対する態度に三通りある。

自分の職業に氣を取られて、ただ営々役々(えきえき)と年月を送っている人は、道というものを顧みない。これは讀書人でも同じ事である。
勿論書を讀んで深く考えたら、道に到達せずにはいられまい。然しそうまで考えないでも、日々の務めだけは辯じて行かれよう。これは全く無頓着(むとんじゃく)な人である。
 
次ぎに着意して道を求める人がある。専念に道を求めて、万事をなげうつ事もあれば、日々の務めは怠らずに、たえず道に志している事もある。儒学に入っても、道教に入っても、佛法に入っても基督(クリスト)教に入っても同じことである。
こういう人が深くはいり込むと日々の務めが即ち道そのものになってしまう。つづめて言えばこれは皆道を求める人である。
 
此の無頓着な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だというわけでもなく、さればと言って自ら進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦念(あきら)め、別に道に親密な人がいる様に思って、其れを尊敬する人がある。尊敬はどの種類の人にも在るが、單に同じ対象を尊敬する場合を顧慮して言ってみると、道を求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬する事になり、ここに言う中閒人物なら、自分のわからぬもの、會得する事の出來ぬものを尊敬する事になる。
そこに盲目の尊敬が生ずる。盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠(せいこく)を得ていても、なんにもならぬのである。

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・・・=以下 次号へ!= 續く。


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2014年1月23日 (木)

【寒山拾得:第一回】[森鴎外]:唐の貞觀の頃だと謂うから、西洋は七丗紀の初め日夲は年号というもののやっと出來かかった時で在る。

閭 丘胤(りょ きゅういん)という官吏が居たそうである。
尤もそんな人は居なかったらしいと言う人もある。
何故かと言うと、閭は台州の主簿になっていたと言い傳えられているのに、新旧の唐書に傳えが見えない。

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主簿と謂えば、刺史(しし)とか太守とかいうと同じ官である。支那全国が道に分れ、縣が州または郡に分れ、それが縣に分れ、縣の下に郷があり郷の下に里がある。州には刺史といい、郡には太守という。

一体日本で県より小さいものに郡の名をつけているのは不都合だと、吉田東伍さんなんぞは不服を唱えている。閭がはたして台州の主簿で在ったとすると日夲の府縣知事くらいの官吏である。そうしてみると、唐書の列傳に出ているはずだと謂うのである。
然し閭が居なくては話が成り立たぬから、兎も角も居た事にしておくのである。
 
扨て、閭が台州に着任してから三日目になった。
長安で北支那の土埃(つちほこり)をかぶって、濁った水を飲んでいた男が台州に來て中央支那の肥えた土を踏み、澄んだ水を飲む事になったので、上機嫌である。

其れに此の三日の閒に、夛人数の下役が來て謁見(えっけん)をする。
受持ち受持ちの事務を形式的に報告する。其の慌ただしい中に、地方長官の威勢の大きい事を味わって、意氣揚々としているのである。
 
閭は前日に下役の者に言っておいて、今朝は早く起きて、天台縣の国清寺をさして出かける事にした。此れは長安に居た時から、台州に着いたら早速往こうと決めていたのである。
 
何の用事があって国清寺へ往くかというと、それには因縁がある。閭が長安で主簿の任命を受けて、此れから任地へ旅立とうとした時、生憎く堪えられぬ程の頭痛が起った。
單純なレウマチス性の頭痛では在ったが、閭は平生から少し神経質であったので、掛かり附けの医者の薬を飲んでもなかなか治らない。

此れでは旅立ちの日を延ばさなくてはなるまいかと言って、女房と相談していると、そこへ小女が來て、「只今ご門の前へ乞食坊主がまいりまして、ご主人にお目に掛かりたいと申しますが如何いたしましょう」と言った。

「ふん、坊主か」と言って閭は暫く考えたが、「兎に角逢ってみるから、此処へ通せ」と言い附けた。そして女房を奧へ引っ込ませた。
 
元來閭は科擧に應ずる爲に、繼書(けいしょ)を讀んで、五言の詩を作る事を習ったばかりで、佛典を讀んだ事もなく、老子を研究した事もない。

然し僧侶や道士というものに対しては、何故という事もなく尊敬の念を持っている。自分の會得せぬものに対する、盲目の尊敬とでも言おうか。そこで坊主と聽いて逢おうと言ったのである。
 
閒もなく入って來たのは、一人の背の髙い僧であった。垢(あか)つき弊(やぶ)れた法衣(ほうえ)を着て、長く伸びた髪を、眉の上で切っている。目にかぶさって五月蝿くなるまで打ちやっておいたものと見える。手には鉄鉢(てっぱつ)を持っている。
 
僧は黙って立っているので閭が問うてみた。「わたしに逢いたいと言われたそうだが、なんのご用かな」
 
僧は言った。「あなたは台州へおいでなさる事におなりなすったそうでございますね。それに頭痛に惱んでおいでなさると申す事でございます。私くしはそれを直して進ぜようと思って参りました」
「いかにも言われる通りで、その頭痛の爲に出立の日を延ばそうかと思っていますが、どうして直して呉れられるつもりか。

何か薬方でもご存じか」
「いや。四大の身を惱ます病は幻でございます。ただ清浄な水がこの受糧器に一ぱいあればよろしい。咒(まじない)で直して進ぜます」

「はあ咒をなさるのか」こう言って少し考えたが「仔細あるまい、一つまじなって下さい」と言った。

これは医道の事などは平生深く考えてもおらぬので、どういう治療ならさせる、どういう治療ならさせぬという定見がないから、ただ自分の悟性に依頼して、その折り折りに判断するのであった。もちろんそういう人だから、掛かり付けの医者というのもよく人選をしたわけではなかった。
素問(そもん)や霊枢(れいすう)でも讀むような医者を捜して決めていたのではなく、近所に住んでいて呼ぶのに面倒のない医者に掛かっていたのだから、ろくな薬は飲ませてもらう事が出來なかったのである。
今乞食坊主に頼む氣になったのは、なんとなく偉らそうに見える坊主の態度に信を起したのと、水一ぱいでする咒なら閒違ったところで危険な事もあるまいと思ったのとの爲である。ちょうど東京で髙等官連中が紅療治(べにりょうじ)や氣合術に依頼するのと同じ事である。
 
閭は小女を呼んで、汲みたての水を鉢に入れて來いと命じた。水が來た。僧は其れを受け取って、胸に捧げて、じっと閭を見つめた。

・・=以下 次号へ!= 

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2014年1月20日 (月)

【悪人とはなんでしょう?】:「髙瀨舟」原話「流人の話」(『翁草』巻百十七・『校訂翁草』第十二)翻字

Takasebune

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