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2013年1月

2013年1月24日 (木)

【梅一輪】~【本当の〝豊かな老後〟とは】~【人生は夢幻の如し】

【梅一輪】~

 【本当の〝豊かな老後〟とは】

    ~【人生は夢幻の如し】

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★差し詰め平成の現代なら・・・

★【なでしこ・石川・回転寿司】

☆=っで、昭和 は?=☆

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/「大鵬出版の自伝」↑↑↑

☆【巨人・大鵬・卵焼き】

平成25年1月19日、大鵬 幸喜 本名:納谷(住吉) 幸喜様
心室頻拍のためご逝去されました、72歳 
・昭和の大横綱 ・幕内最高優勝32回 ・北海の白熊

昭和36年の流行語で
【巨人・大鵬・卵焼き】は子供の好きな物を羅列し、流行語になった。

当時野球界は巨人軍、王貞治・長嶋茂雄のONコンビが大活躍している時代。

相撲界でも大鵬が双葉山以来の圧倒的な強さを誇っていた時代。

このコピーを考案したのは後に経済企画庁長官も務めた堺屋太一氏。

そして、コピーの真意は子供の好きな物ということではなく、
“大人になっても子供と同じ様な物が好きだと大騒ぎしている「半人前で子供っぽい使えない大人」を揶揄した”言葉。

ご冥福をお祈り申し上げます。

     合  掌

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Taihoukouki

【梅一輪】

昔、中国の詩人が春をたずねて、一日中、野山を散策したが、ついに春を見つけることができず、疲れた足をひきずってわが家に帰り、

ふと庭先の梅の梢に花のふくらみを発見し、

春はこんな身近にあったのか』
と、感激の詩を賦している。

【我が家の雪見障子からの“春”】↓ 

【my  Windowsペイント画】 ↓ ↓ ↓

Firum

ここで一句(否・二首♪(^_-)-☆)

♪ “梅の雪  ただ何となく  あはれなり

  朝陽をあびて ただ溶けるのみ”

  ・・・リストラ時代に想いを馳せ  

      唯 涙(;一_一)) 

【my  Windowsペイント画】 ↓ ↓ ↓ 

  ↑ ↑ ↑

♪“梅古木 ねじれよじれた 穂先にも 
   

    唇朱し 春曙待つ娘“
  (くちびるあかしシュンショまつこ)

になると梅の花が綻ぶ。

そうだとすると春と梅の花は別物ではない。

春といえば春の中に梅の花がおさまり、梅の花といえば、梅花一輪の中に春がその姿を宿している。

春夏秋冬、みな同じことで、道元禅師はこの間の消息を、

♪“春は花、 夏ほととぎす  秋は月
   

   冬雪さえて  すずしかりけり“♪

と詠っている。

映画のフイルムを見ると、一コマ一コマに少しずつ違った情景が写されている。

しかし、それを一秒間24コマのスピードでまわすと、独立した一コマ一コマが抜き差しならない一つの連続した動きとして目に映る。

別々でありながら一つにつながっている。

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【my  Windowsペイント画】↑ ↑ ↑

/わかるかなぁ~っ♪ 

【櫻散る・・・♪(^_-)-☆】

時の流れもこれと同じで、春は花、夏はほととぎす、秋は月と、それぞれ趣を異にしているように、別々の内容を持った一瞬一瞬の連続によって成立っているのである。

ところがわたしども映画を見ているように、「年々歳々花相似たり」で、来年もまた同じように花が咲くとのんびり構えているが、実は

「歳々年々、人同じからず」

「今年花落ちて顔色改まり、明年花開きて復(ま)た誰かある」

無常の世なのである。

春の到来をめでると共に、花の命に思いを馳せることも、春の風情ではなかろうか。

【本当の〝豊かな老後〟とは】

【人生は夢幻の如し】

♪“花鳥も 

  おもへばの 

     一字かな“

これは、江戸時代の俳人・夏目成美(1749~1816)という人の句ですが、短い言葉の中に、深い思いがこもっているように感じます。

この句を見て、私たちがすぐ思いだすのは、本願寺中興の祖・第八代蓮如上人がしたためられた『御文章』の次の一節です。

「それ、秋も去り春も去りて、年月を送ること、昨日も過ぎ今日も過ぐ。

いつのまにかは年老のつもるらんともおぼえずしらざりき。

しかるにそのうちには、さりとも、あるいは花鳥風月のあそびにもまじはりつらん。

また歓楽苦痛の悲喜にもあひはんべりつらんなれども、いまにそれともおもひいだすこととてはひとつもなし。

ただいたづらに明かし、いたづらに暮して、老の白髪となりはてぬる身のありさまこそかなしけれ。

されども今日までは無常のはげしき風にもさそはれずして、わが身ありがほの体(てい)をつらつら案ずるに、ただ夢のごとし、幻のごとし」(註釈版聖典・1166頁)

“秋もさり、春もさって、年月がたち、いつのまにともしらぬうちに、老いの身となってしまった。
そのうちには、風流な遊びをしたり、悲しいことや苦しいこともあっただろうが、今はこれといって思い出すこともなく、ただむなしく暮らして老いてしまったのは悲しいことだ。
今日までは無常の風にもさそわれず、なんとか生きながらえたのだが、それも夢まぼろしのようだ”=

蓮如上人は、このように来し方をふりかえっていらっしゃいます。

まことに痛切に、今日までの日々を省み、思いだすこととてはひとつもなく、空しく過ごしたことが、嘆かれているのです。

【宗教的世界への関心】

実際は、蓮如上人は、第八代をご継職のあと、比叡山の徒に東山の本願寺をこわされ、近江から北陸、さらには大坂へと、席のあたたまるひまもなく東奔西走され、ようやく山科に本願寺を建立されたのですが、そういうことも、
この『御文章』では、「いまにそれともおもひいだすこととてはひとつもなし」という感慨として記されています。

上人のお気持ちのなかでは、この世のことはすべて、「ただいたづらに明かし、いたづらに暮し」たということなのでしょうか。

こういう言葉は、無常詠嘆といって、積極的な生き方ではないと非難されることが多いのですが、蓮如上人のお気持ちは、ただ無常を嘆き悲しむということではなく、このあとに、

「いまにおいては、生死出離(しょうじしゅつり)の一道ならでは、ねがふべきかたとてはひとつもなく、またふたつもなし」とあるように、こうした感懐を、ただちに宗教的関心につなげてゆこうとされているのです。

しかし、今日では、私たちの関心は、宗教的な方向に向くことはほとんどありません。

生きることがすべてで、それを否定することからは、できるだけ目を逸らそうとします。

波瀾万丈の生活でさえ、この世のことは「夢のごとし、幻のごとし」と言いきられる蓮如上人のお言葉とは全く反対に、現世のことに最高の価値を求めてやまない私たちには、こうした徹底した現世否定の精神はどういう意味をもつのでしょうか。

あっというまに高齢者の社会になってしまいました。

少子高齢というのは、現代社会の特色です。そこで、高齢者は満たされた生活をしているのでしょうか。

「豊かな老後」というのは、世間で繰り返される言葉ですが、本当に満たされた老人の生活が実現しているのでしょうか。
むしろ不安と幻滅の老後が待っているような気がします。

それは、社会福祉政策がどうとか、医療体制がどうとかといった問題ではないように思います。

その根本には、現代の人間が喪失した宗教的関心という問題があるのではないでしょうか。

老少男女問わず、すべての人たちの心を本当に支えるのは、宗教的世界への関心です。

宗教的要求といってもよいでしょう。

【妙好人(みょうこうにん)たちの生き様】

深い念仏信仰に生きた人々を「妙好人」と申しますが、すぐれた妙好人たちが、どれほど豊かな老後をおくっていたかは、『妙好人伝』からもうかがい知ることができます。

『妙好人伝』には江戸時代の考え方が反映されています。

しかし、妙好人たちを生かしていたのは、決してご領主さまのおほめの言葉や、頂戴した金子(きんす)などではなく、つねにわが身に語りかける仏さまの慈悲の喚(よ)び声だったのです。

南无阿弥陀仏をとなふれば

十方無量の諸仏は

百重千重囲繞(いにょう)して

よろこびまもりたまふなり
 (同576頁)

という親鸞聖人のご和讃は、そういう妙好人の気持ちをよくあらわしていると申せましょう。

南无阿弥陀仏
 
   南无阿弥陀仏

     南无阿弥陀仏 

自分らしさで味わいを表現し、
  
  お念仏を共に喜ぶ

    有り難い人生を
       
       頂いたものだと

味わう毎日です。

   合  掌

お お き にっ! ♪(●⌒∇⌒●)♪大阪yumenakama08

Smokes990355

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2013年1月19日 (土)

【寅さんとおかげさま】

【寅さんとおかげさま】

Book21044

「お正月映画といえば」

新年にちなんでお正月・お盆映画として親しまれた
【男はつらいよ】を・・・

このシリーズ全48作は、1969年に始まり1995年まで、実に27年間のながきにわたって日本人を魅了し続けてきた、日本の映画史上、画期的な作品群でした。

今なおその人気は衰えるところがありません。

むしろ【寅さん】映画の再評価がなされているように思えます。

その秘密はいったいどこにあるのでしょうか。

数年前、朝日新聞の「ニッポン人・脈・記」でも、

【おーい 寅さん】と題して13回にわたって取り上げられましたが、そこに心引かれるエピソードが紹介されています。

阪神大震災の時、避難所では救援物資を奪い合い、怒号が飛び交ったそうですが、あるボランティアが銀幕代わりに布団のシーツで「男はつらいよ」を上映したところ、映画が終わり電気をつけたら、みんなとても明るい顔になっていたということです。

私も「寅さん」映画が大好きですが、山田洋次監督は
【寅さんのおかしさも今の若者にはわからない】とも述べています。

しかし、果たしてそうでしょうか。

単に、食わず嫌いなのかもしれません。

ギネスブックにも載るほどのシリーズを、日本人が繰り返し見てきたのは、この映画の中に日本人の大事なものが残っていたからにちがいありません。

その大事なものを今の若者が理解できないとすれば、これからの日本社会はどうなっていくのか、これは大変困ったことです。

【寅さん】がわからないということは、由々しき社会問題でもあります。

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そこで、学生約300人に第29作『寅次郎 あじさいの恋』を鑑賞してもらい、その感想文を視てみました。

【不安感なくす効果が】

一般に日本映画にそっぽを向きがちな現代青年ですが、初めて見たこの映画に深い共感を持ち、すっかり見直したと書いています。

【寅さん】映画は、ゆったりほのぼのとし、懐かしさがあふれ出るし、家族の温もりが感じられた、といいます。

また、この映画を見て、自分を支え、育ててくれた家族や周りの人たちへの感謝の気持ちを披瀝する感想文が多く見られました。

実験も行ってみました。

鑑賞の前後に「よい気分」「悪い気分」を測定したところ、「よい気分」は増進し、「悪い気分」は減少したのです。

【寅さん】は確かに不安感をなくさせる効果を持っていました。

それと同時に、3カ月前に測定しておいたおかげさま意識の程度と相関させると、おかげさま意識の強い学生ほど不安状態が低減されることも判明しました。

【寅さん】の癒し効果は、「おかげさまで...」という浄土真宗的な報恩感謝の念と密接に結びついているのです。

哲学者の梅原猛さんは、寅次郎に「旅の行者」の菩薩行をみています。

見かけはヤクザっぽい寅さんの心に深い慈悲の心が隠れていて、現世にいかなる欲望、名誉欲も権力欲も金銭欲も持たず、孤独に旅をしながら行きずりの人を何の報酬も求めずに助けるそのすがたが、見る人を安堵の世界に導くのでしょう。

そして、放浪を繰り返す寅さんにとっても、帰るべき柴又のだんご屋「とらや」の家があることが、彼の人生を根底から支えてくれているのです。

ここで示唆的なのは、語り合い、悲喜哀歓を共にすることのできる家族や仲間がおり、そうした人々への深い信頼と相互依存の関係を築いている人が、寅さんに癒され、元気が出るということです。

そして、多くの人たちが「男はつらいよ」を見て、そのような体験を共有していることに注目したいと思います。
ここに私はわが宗門にとって大きな可能性を見出しています。

親鸞聖人のご和讃に「釈迦・弥陀は慈悲の父母(ぶも)」という言葉があります。

阿弥陀さまのお慈悲を説くとき、親心がよく取り上げられますが、聖人にとっても同じ思いであったのでしょう。

一切の衆生(しゅじょう)を救わずにはおかないという阿弥陀さまの誓いは、私たちが阿弥陀さまから常に一子地(いっしじ わがひとり子)と見られている存在だということです。

親がわが子を思うように、阿弥陀さまは絶えず私を気にかけてくださっている。

そうした心情は、他者との相互信頼感があってはじめて成り立つのです。
そのことを映画【男はつらいよ】が教えてくれました。

南無阿弥陀仏 

  南無阿弥陀仏 

    南無阿弥陀仏

自分らしさで味わいを表現し、
  
  お念仏を共に喜ぶ

    有り難い人生を
       
       頂いたものだと

味わう毎日です。

   合  掌

渥美 清さん 生前は密かに『俳句』作りを楽しんでいた、

俳号は

“風天”で、『アエラ句会』など等。

 ♪“ 花道に 

     降る春雨や

       音もなく“♪

   
 1995年67才:亡くなる1年前の作。

 付き人に癌を打ち明けた時期と重なる) 

Atsumi

 /『アエラ句会』でメモを片手に作句する渥美清さん。

尚、シリーズは第48作後の1997年に 
「シリーズの特別編」として、

『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』が、
渥美 清さんご逝去後に根強い寅さん人気、ファンの希望で完成公開し日の目をみた。

主題歌は代わりに八代亜紀が歌う。

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で、当第29作のマドンナは、【いしだ あゆみ】

シリーズmy夢の、新第49作目からのマドンナは・・・

世界の美人名女優っと思っていたものですぅ~っ♪(^_-)-☆

で先ず、今回は・・・
【Ingrid Bergman】 ↓ ↓ ↓

【my  Windowsペイント画】 ↑ ↑ ↑

「清 様に、一時期は似ていると謂われた~、

    私も、そう思ってもいた♪(^_-)-☆」

=寅=

♪“君の愛用の「帽子」を被るのが夢だったぁ~っ”

♪“帽子交換 したら・・愉しいねっ♪(^_-)-☆”

=マドンナ I B=

♪“私も 寅さんの 帽子を・・・
   似合うでしょうっ!?“♪

 ご冥福を 祈ります

   合  掌  ("amen)

♪“いやぁ、映画って本当にいいもんですね~”

♪“それを言っちゃあお仕舞いよ”

お お き にっ! ♪(●⌒∇⌒●)♪大阪yumenakama08

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2013年1月12日 (土)

【yumenakama08 my動物園】&【犬に噛みつく】~【人間と動物の違い】

【yumenakama08 my動物園】&

    【犬に噛みつく】~

          【人間と動物の違い】

Book21044

my動物園:

今迄に描いた【Windowsペイント画】から、ほんの一部を集めてmy想いの動物園をと、
新たに描いてみました♪(^_-)-☆

【my  Windowsペイント(画)】  ↓  ↓  ↓

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【犬】 【人間】 【白鵠:天鵞:白鳥】 【クジャク】

【おうむ】 【鳥たち】・・・

【猫】 【 鯉】 【蛇】 【蠍】 

畜生:鳥・獣・虫魚=人間以外】

 【動物たち】・・・

これ等が今回の法話に出てくる

【畜生:動物たち】である。

①人に飼われる生き物の意、傍生、横生とも訳す。

②人を憎んだり、ののしったりして、
感動詞的に、怒りや失望などの氣持ちを表す時に用いる。

【犬に噛みつく】

何がニュースになって、何がニュースにならないか
ということの例えとして、犬が人間を噛むのは当たり前で、
人間が犬に噛みつくのが珍しいのでニュースになると、昔は言われていました。
ですから、ニュースになることはめったにない特別のことなのです。

それが、テレビのワイドショーが盛んになって、犬が人間を噛んでも、大事件として放送されるようになりました。

お参りしていると、近ごろの世の中はどうなったのでしょうか。

子供が親を殺し、親が子供を殺し、いじめや自殺、放火に交通事故、
贈収賄と、毎日毎日つらい、どうしようもない世の中ですと、
嘆かれる方があります。

確かに、仏教で言う十悪五悪といわれることが各地で毎日起こっていることには、間違いありません。

しかし、心優しい人びとや、真面目に一生懸命に働いている人が、大多数であることも事実です。

ただ、そうした当たり前のことは、ニュースには一切ならず、
善意よりも悪意が取り上げられ、他人を批判することが多いこの頃です。

勉強会の準備で、阿弥陀経の現代語訳を読み返していましたら、

阿弥陀仏の国には、びゃくこう、クジャク、おうむ、など、
沢山の鳥がいて、優雅な声で昼夜六時それぞれに優雅に鳴き、尊い教えを説き述べていると説かれた後。

「舎利弗よ。そなたはこれらの鳥が罪の報いとして鳥に生まれたのだと思ってはならない。

なぜなら阿弥陀仏の国には地獄や餓鬼や畜生のものがいないからである。

舎利弗よ、その国には地獄や餓鬼や畜生の名さえもないのだから、
ましてそのようなものがいるはずがない。

このさまざまな鳥はみな、阿弥陀仏が法を説きひろめるために、
いろいろと形を変えて現されたものに、ほかならないのである。・・・」

とあります。      

ニュースに出る、ごく一部の人を知って、それが世の中のすべてと思い、
私の周りにいる人びとの、素晴らしい姿や、働きをちゃんと見る努力もせず、まして自分の行いを見つめることを忘れているのではないかと思えてきます。

どんな鳥も、動物も、人間も、阿弥陀仏がこの私に法を説きひらくために、
いろいろの形で、この世に来ていただいていると味わうと、私の人生は大きく変わってくることでしょう。

新聞や雑誌が集めた、醜い辛い話題も、テレビやラジオから流れてくる
様々な事件も、この私に法を説きひらくためだと思えれば、誠に有り難く
もったいないことです。

南无阿弥陀仏のお名号は、阿弥陀如来の願いと比べて、この私の身勝手な
行いを、しっかりと見つめ直させる働きがあるようです。

南无阿弥陀仏を口にして、素晴らしいもの、すてきなものを、私の周りで発見出来きるように心掛け、感動と喜びを味わえる毎日を
送りたいものです。

※【白鵠 びゃくこうの鶴】

 鶴の一種で、白鳥または天鵞(てんが)ともいう。

http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%B0%8F%E7%B5%8C#P--123

http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%99%BD%E9%B5%A0

【人間と動物の違い】

 
神奈川県のご住職 O Oさんの
「人間と動物のちがい」 という文章に であいました。

子どもの頃、父に 「 そんなことをしていると、犬や猫と変わらないじゃないか 」 とか、
畜生 にも劣るぞ 」 といってしかられたものです。

「 冗談じゃないや、犬や猫と一緒にされてたまるか 」 と思っていました。

しかし、このごろ犬のすごさに驚くことがあります。

うちで飼っている北海道犬は十三歳になり、耳もずいぶん遠くなって、足もよたよたと引きずるようにしています。
そばまで行って呼んでも聞こえないほどです。

それでも、犬はそんな自分の姿をぼやいたり嘆いたりすることがありません。

不自由になった老いをそのままに受け入れているようです。

そんな犬の姿を見ながら、自分の老後に思いを重ねてみるとき、
「 こいつはすごいなあ!」 と感心してしまいます。

さらに、うっかり夕食をあげるのを忘れてしまい、翌朝あわてて持っていくことがありますが、犬はケロリとした顔で尾っぽをふって迎えてくれます。
夕べのことは少しも根にもっていないようすです。

食べ物の恨みは怖いと言いますが、私にはそんな芸当はとてもできません。

不機嫌な顔をして、へそを曲げ、ふて腐れて見せるでしょう。

あるいは意地を張って、食べずに抗議をするような愚かなこともしてしまいそうです。

なるほど、犬のほうが利口だなと、父の言葉を思い起こします。

またコイにも驚くことがあります。

池の中に平らな石があるのですが、その上に餌がのってしまうと食べられないことがあります。

その餌を見つけた一匹のコイが身をすり寄せて 何度か挑戦します。

そうすると、その波で餌が流れ落ち、そこにいたコイがすまして食べてしまいます。

しかし、それでも池の中は平和です。

「 それは俺のものだ 」 などと言って、人間のように争うことはありません。

取ったほうも取られたほうも何も気にしていないようです。

実に平和な顔をして仲良く泳いでいます。

自分のしたことにとらわれて自己を主張し、怒ったり、愚痴ったり、裁判をしたりする人間が愚かしくも思えます。

芭蕉は 「 ものみな自得す 」 と 言っています。

なるほど犬やコイは自分の身に降りかかる出来事はどんな事でもそのままに
受け入れているのに、人間だけが自得できずに迷っているようです。

犬もコイも人間より達観しているようなところがあります。

しかし、彼らには恥や罪の意識はありません。

犬はどんなに破廉恥な行為をしても恥ずかしそうな顔をしないし、悪いことをしても悔いたり悩んだりすることもないようです。

なぜ、犬には恥や罪の意識がないのでしょうか。

犬は悪いことをしたという思いをもたないからでしょう。

悪いことをしたという思いは教えによって知らされます。

つまり、教えがなければ悪いことをしたという自覚はなく、そのために罪の意識も恥じる心も起こらないということになります。

作家の三浦綾子さんは 「 自己中心は 罪のもとだ 」 と言い、 「 自己中心であればあるほど、神を嫌う。

神を見ようとはしない。
神を無視してやまない 」 と
言います。

神を見ようとしないとは、自分を中心にして神の教えを無視してしまうと
いうことでしょう。

仏教でも末法の世には 人々の心から仏の教えがなくなるといわれますが、それも、人間がますます自己中心的になるからでありましょう。

しかし、エゴの自己中心性を問わずに教えを無視するようになれば、自分が中心になるために何をしても悪の自覚はなく、恥や罪の意識ももてなくなるでしょう。

そうすると、人間は動物よりも浅ましいものになるのではないでしょうか。

親鸞聖人は 「 悪性 さらにやめがたし 
こころは 蛇蝎 のごとくなり 」 (註釈版聖典617ページ)と詠まれています。

蛇やサソリのような心とは、本願の大悲によって見抜かれた人間の本性でありましょう。

ところが、その本性は自己中心の目によっては覗き見ることのできない心の暗い奥底に隠されたものであり、仏の教えを聞くことによって初めて知らされるものです。

だから、教えによって自分もまた危うい本性をもつ身であることを気付かない限り、悪の自覚ももてないことになります。

「 罪を罪と感じないことは最大の罪 」 ともいえるでしょう。・・・・・・・・

という文章です。

本当に  畜生にも劣る 生活をしていることに 気づかせていただきたいものです。

南無阿弥陀仏 

  南無阿弥陀仏 

    南無阿弥陀仏

自分らしさで味わいを表現し、
  
  お念仏を共に喜ぶ

    有り難い人生を
       
       頂いたものだと

味わう毎日です。

   合  掌

お お き にっ! ♪(●⌒∇⌒●)♪大阪yumenakama08

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2013年1月 7日 (月)

【昭和最後の日】&【Vivien Leigh】&【ウイルス対策ソフト~】

【昭和最後の日】&

    【Vivien  Leigh】&

        【ウイルス対策ソフト~】

Book21044

1月7日:

1989年 1月7日:

  昭和天皇(裕仁天皇)が崩御。
       (昭和最後の日

1894年1月7日:

William Kennedy Laurie Dicksonは、

motion picture(映画)の特許を取得。

・・・・・その老師に、

「お前の運命は三人の女に握られている」
憐れな運命だと予言され、

「一人目の女とは既に出会っている。      

      お前が殺す・・」

「二人目の女は、お前が命を助けるが、
      お前によって死ぬ・・」

三人目の女は、お前を死なせるが、
      多くの命を救うであろう・・」

そして、

・順・好」という謎の文字を残し、

  老師は消え失せる。・・・

はいっ、此れが今日(1/7 13:00~ BS7 放送 第1回)

대장금 宮廷女官チャングムの誓い】始まりました。

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昨日NHK【イ・サン】(来週1/13が最終回)の「最終回直前スペッシャル」放送が有り、・・・家内に、

“寂しいねっ!また、・・チャングム・・でも
再放送して欲しいねっ♪“って、云った処で、

今日早速の放送で、嬉しい~っの心境♪(^_-)-☆

・・・もう何回観たか数えられない位どす、

でも良い映画(ドラマ)は何回観ても涙どす♪(・_・;)

第1回目から、先を知っているだけに・・・

涙  泪  なみだ どすぅ~っ♪(;一_一)

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子供のころ見たり読んだりした映画や小説を、大人になってあらためて見たり読んだりすると、まったく違った感じ方、また新しい発見ををすることが、しばしばあります。

それは…経験をつんで物事を深く見たり感じたり出来るようになっいるから・・・

また逆に子供の頃の純真さを失っていたりするからと・・・
その理由は様々です。

下段の『法話』も・・・いつか繰返し読んでみてください。

自分が健康なとき、病気のとき、恋をしているとき、失恋したとき、楽しいとき、怒っているとき、身近な人の死を経験したとき・・・

さまざまなときに読んでみてください。

そのたびに、書かれている文章は同じでも、感じ方・捉え方はきっと違ったものになるはずです。

myブログでもそうです、【日記】・覚書メモ・備忘録として記録していますが、読み返す毎に違った想い出、感想が繰り返されます、
ですから自分の過去の日記を振り返り読むのも一興どす、

そんな意味合いをも込めて、
【my過去の日記】:趣味(あれこれ)を通じて残りの人生、世間との繋がりを!♪っと 題してテーマにしております。

ブログ(blog)は、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ:記録しているウェブサイトの一種である。

「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。

より頻繁に用いられている広義には作者の個人的な体験や
【日記】、特定のトピックに関する必ずしもウェブに限定されない話題などのような、時系列で比較的頻繁に記録される情報についてのウェブサイト全般を含めてブログと呼称する。

このようなウェブサイトの作成機能を提供するソフトウェアやサービスなどを指して呼ぶ場合もある。

短文の投稿を中心としたブログを「ミニブログ」「マイクロブログ」又は「つぶやきブログ」と言う。
 (小生のは、此れかなっ♪)

他に、モブログ (moblog):携帯電話使用

フォトログ (photolog、fotolog):写真

ブイログ(ないしヴログとも)(Vlog):ビデオ

ノベログ (novelog):自作小説

及びアダルトコンテンツを扱う「elog」エログ♪(^_-)-☆

Gone_with_the_wind

おなじ様に何回も見返した映画の一つが懐かしい名作、

題名は、

【Gone with the Wind  】

(※何時かブログで正式に?投稿のつもりどす♪(^_-)-☆

絵も描きたかったが今迄UPは出来なかったぁ~っ

 ・・・日記にする機会も無くっ“没”♪(・_・;))

上流階級で気性の激しく躍動的な精神を持つ南部の女、

フランス貴族系の貴婦人である

【Katie Scarlett O'Hara】

Americacivilwar

南北戦争という『風』と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部の貴族的白人文化社会が消え去った・・・

そんな中、孤独と絶望を味わうが、故郷
『タラ』をも守る為その苦難の時代から一歩踏み出し、
波乱の人生を生き抜く強さを身に着けた、
動的な美貌の持ち主、それが【Katie Scarlett O'Hara】

そんな気丈な女の半生を其の役柄にピッタリの我
【 Vivien  Leigh 】が演じた。

少し上を向けた鼻高の【 Vivien  Leigh 】の姿が、

全てを物語っているっと・・・

        察します。↓ ↓ ↓

Vivien_leighgaku002233xxxyyy70

又、上手く演じた得たものと【 Vivien  Leigh 】

この女優ならではと思ったものです。

(・・my新婚初めて嫁と京都スカラ座で観た、
 小生は●回目、嫁が横に居るのさえ忘れていた♪(^_-)-☆)

※此処で描く・UPする絵は、日記(言いたい事・
覚えとして残して置くetc)や伝言・コメント・拍手のお返事、お話に関連したものを描いています、っで、
制作中でも投稿しないで、(ボツ!?)に成る、
未完成、そんな絵の方が多いのです・・・♪(・_・;)

っで、美人なら、すぐに絵にしたい描いてみたい♪(^_-)-☆

っと、描き始めては見ますが・・・中途半端(;一_一)

ほんまは、“美人”特徴が有る様で無いものどす、
っで、描き難いのどすぅ~っ♪(・_・;)

此処で描いた、【Windowsペイント画】UPした美人、
小生が思う美貌有名人はっ♪(^_-)-☆・・・

⇒【Audrey Hepburn】2点

⇒【石原 裕次郎】(男優どす)

⇒【市豆】(舞子~芸妓=京都上七軒)

⇒【Ingrid Bergman】3点

⇒【倍賞 千恵子】

⇒【長谷川 一夫】(男優どす)

⇒【夏目 雅子】

⇒【Vivien  Leigh】(※今回/未完成)

※以下、描きたいっ!♪予定者♪(^_-)-☆
   &過去に手掛けた制作中(没作品)、
     話題が無ければ完成しても、

        日の目は視ない!(涙)

⇒【Elizabeth Rosemond Taylor】

⇒【Grace Patricia Kelly】(グレース王妃)

⇒【 한지민 

⇒【이영애

⇒【Marilyn Monroe】

⇒【原 節子】

⇒【高峰 秀子】

⇒【山本 富士子】

⇒【山口 百恵】

そして、美人でも美貌でもないが・・・

【my娘】&
【my嫁】(少しUPしていますがぁ~っ♪(^_-)-☆)

PCを弄って描けるのは、

  後何年 ・ 何人、かっ?♪(^_-)-☆

【ウイルス対策ソフト】

 
仏教では 教えのことを 法と言い その教えを受けるものを 機といいます。

蓮如上人の ご文章などでは その機と 法とが 一体となった機法一体の南無阿弥陀仏ということを 再三 お書きいただいています。

機械の機とは 教法、教えに対する言葉で、つまり 仏の教えをこうむるべき対象で、一般には 衆生と同じような意味で 用いられています。

衆生は また 有情とも言われ 「生きとし生きけるもの」という意味で、その衆生が 教法に対したときに 機といわれるのです。

これを コンピュータに 置き換えると なんとなくわかったような気持ちがします。

コンピュータの本体 機械だけでは たいした働きをしませんが
そこにソフトを 入れこむと 計算したり 記憶したり 文章を作ったり  写真を保存修正したり 音楽を聴いたり ビデオをみたり インターネットで情報を発信したり メールが交換できたり ありとあらゆることが出来るようになるのです。

器械だけでは その能力を十分に発揮できないものの そこに その機械を働かす ソフトを 挿入すると 大変 大きな能力を得ることができるのです。

これは 人間も体だけ丈夫でも そこに 法が加わらないと 自己中心的で わがままな 怠惰な生活しか出来ないのかもしれません。

それが仏法に 出会うことで 人間としての生きがいや 喜びや 生きる意味 人生の意義が 感じられて 進むべき道が 見出だされ積極的に働いていくことが出来るようになるのに似ているように思えます。

ところで コンピュータで 情報の交換をしていると 悪意のあるウイルスという間違った働きをさせる ソフトが入り込んでくる 危険があります。

それも 次から次から 新しいウイルスが 作りだされ 機械を攻撃するだけではなく その機械から 新たな危険な情報を 発信させる 被害を
受けるだけではなく 加害者になってしまう 大変困ったウイルスが 充満しているのだそうです。

それに対抗して そのウイルスを発見して 駆除したり 受け付けないよにするウイルス対策ソフトというものを 加える必要が出来てきました。

そして その対策ソフトは ほぼ毎日のように 新しい情報を 配信してコンピュータを守り続けてくれているのです。

こうした話をしましたら 若い方は ウンウンと うなずかれましたが、コンピュータをさわらない お母さんたちは きょとんとしておられました。

そこで 周りと隔離して生活していれば 問題ないももの 多くの情報が入り込み それが 間違った方向へ私を向かわせているのかもしれない。

自分だけではなく 周りの人を巻き込んで 悪を次から次に作っているのかもしれません。

そこで 自分の考えや行動は 大丈夫かと 朝晩のお勤め そして せめて ひと月一回は お寺の法座で 修正する必要があるのでは ないかとお話しましたら 納得納得と うなずいていただきました。

基本ソフトは 勿論ですが ウイルス対策のソフトも 絶対必要な時代になったのです。

自分は大丈夫と たかをくくらず どうぞ お聴聞と 毎日のお念仏を お忘れなく 限られた人生 十分にその能力を発揮していただきたいものです。

自分だけではなく 周りを傷つけることのないように したいものです。

私にとっての基本のソフトや ウイルス対策ソフトは 南無阿弥陀仏という名前なのだろうと 思います。

【アクセス解析】

インターネットのホームページに カウンターを貼り付けていますので、毎日 その数が増えていくのを ひとつの楽しみにしていました。

数字は増えていくものの はたして、どれだけ見ていただいているかが もう一つ はっきりしていませんでした。

ホームページの原理がよく分からないまま、ワープロを使うような感覚で続けていましたが、どうも調子が良くなく 最新のバージョン15を求めました。

今度の変更の目玉は アクセスを解析するサービスがついていることです。

さっそく試しに実行してみましたら、おもしろいように アクセスの具体的な内容が、数字と図表で見えるようになって驚いています。

毎日 どれだけの人が このページを訪問したか、そして、その人がその後どれだけ閲覧していったのか、数字で出てくるのです。

この一週間で なんと、3000に近い アクセス数があり驚いています。

また、何時から何時の間に、どれだけの人が見たのも分かるようになっています。

地域別では、多いところでは 大阪や 東京 神奈川や 長野 福岡 北海道などの方が多いようですが、半分はその他の県の人です。

驚くのは 検索に使われた言葉の表記です。

このページへは、どんな言葉を検索して、たどり着いたのか。表示出来るようになっています。

釈尊、親鸞聖人 浄土真宗 浄土三部経 現代語訳 歎異抄 法話 などの
言葉を検索して このページにたどり着いた人が多いようです。

意外だったのは 携帯電話 ここでは Auが 抜きんでて多く、ことによると 若者が 利用しやすい機種があるのかもしれません。

どちらにしても ただ漠然と カウンターの数字が上がるだけではなく具体的にその内容が見えてくると 非常に励みになるものです。

ホームページの大半の内容が もう10年も前に 打ち込んだ 本願寺出版の現代語訳ですので その後あまり 見返すこともなく そのままにしていましたが、多くの人に 見て読んでいただいていた可能性があると思と こころ弾みます。

ただ文章だけを羅列したもので 見栄えはしませんが、こんな投書も届きました。

文章を読み上げるソフトで 読ませて聞いているが とても有り難いとの内容です。

云われる通り、試してみましたが、ところどころ仏教的な読み方ではなくハットするところも多いものの 目で見ながら 耳で聞いていくと 確かに有り難いものです。

誤った読み方を修正して 単語登録し、再び聞き返すと さっきとまた違ってまるでお説教を聞いているように 有り難く感じられます。

この新しいアクセス解析のサービスを使って 思いました。

われわれはその表面だけを見て 内容を具体的に 全部わかっているつもりになっていますが、それを分解し分析してみると 気づかなかった多くのことが
見えてくるものです。

お経が 何で 繰り返し繰り返し 延々と言葉を重ねてあるのかは、
きっと具体的にイメージを膨らませ イメージを定着させ 救いの世界があることを 感じ取らせようとのご苦労であろうと 思います。

どうか、みなさんも読み上げソフトを使って 見て聞いてください。

現代語に訳されたお聖教と親しんで 南無阿弥陀仏を口に尊いご縁としていただければありがたいことです。

自分らしさで味わいを表現し、
  
  お念仏を共に喜ぶ

    有り難い人生を
       
       頂いたものだと

味わう毎日です。

   合  掌

お お き にっ! ♪(●⌒∇⌒●)♪大阪yumenakama08

Smokes990355

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2013年1月 1日 (火)

平成二十五年:賀状】&【慈しむ】~【無量寿】

【平成二十五年:賀状】&

  【慈しむ】~【無量寿】

2025nenngajyouraccan70

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旧年中は 皆様に 何かとお世話に成りました感謝、

お お き にっ! ♪(●⌒∇⌒●)♪どす<(_ _)>

       新年 皆様にとって

良い年でありますように、

    そして私めも・・・♪(^_-)-☆

Kyoutozouni

♪「白味噌」・・それだけで贅沢もんどす。

♪「昆布」でお出汁・・それだけで贅沢もんどす。

♪「花鰹」一掴み・・それだけで贅沢もんどす。

♪「丸餅」が、 今年も食べられる
・・それだけで、 大いに贅沢もんどす、

今年も  幸せ者どすぅ~っ♪(^_-)-☆

【慈しむ】

Itukusimugantan

  新しい年を迎えました。

今年の年賀状(my畫初め)は、慈悲の

【慈】の文字、“いつくしむ”

の字を書かせていただきました。

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『大乗』月刊誌

此れが昨年の9月号です♪↓ ↓ ↓

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※★右側は、小生が一昨年に描いた

【Windowsペイント画】どす♪(^_-)-☆

表紙の版画絵の作者を知りたいもの★

  修 さん !?

・・・何か縁を感じます♪(●⌒∇⌒●)♪

興味の御座います方は♪ ↓ ↓ ↓

▼ http://blog.livedoor.jp/tms49310/archives/1717269.html

ご本山、西本願寺で出版されている『大乗』という月刊誌の中に、「幸せということ」というO O先生の
文章の言葉をお借りしたものです。

その文章とは

「私どもは、幸せとは自分が楽をすることだと思っています。

どうしたら自分が幸せになれるかということばかり追い求めて、
人の幸せなど本気で考えません。

自分が幸せになるためには、平気で人に苦難を押しつけさえします。

幸せになろうとして、互いに苦難を押しつけ合うならば、
結局は幸せになろうとしてお互いに不幸への道を歩んでいることになります。

そのことを仏さまは、人びとは逆さまの考え方をしていると誡められたのです。

まことの生き方とは、苦難は私が引き受けるから、
あなた方は幸せになってくださいと願いながら、力の限り働くことです。

それを慈悲の実践といい、
仏道というのです。

慈悲の『悲』とは、あらゆる『いのち』との響き合いのなかで、

人びとの悲しみを共に悲しみ、人の痛みを我が事のように共感する心でり、その大悲の必然として、人びとの幸せを心から願っていくことを慈悲の

『慈』というのです。

それが仏陀の本質ですから

【観無量寿経】には

『仏心とは大慈悲これなり』と説かれ、善導大師も
『仏道を学ぶということは、仏の大悲心を学ぶことである』と仰せられたのでした。

念仏の行者とは、阿弥陀如来の大悲の誓願に救われた人ですから、苦しみは人に押しつけても、
自分だけは幸せになればいい、というような思いは、
まことに恥ずかしい、申し訳のないことであると知らされた人です。

それゆえ念仏者は、ほんの少しでも、
分に応じて、人びとの幸せのお役に立てるような生き方をしようと志す人でありましょう。」という文章です。

本当の幸せは、自分一人だけの幸せではなく、
阿弥陀如来の大悲の誓願に救われた人として、苦しみは人に押しつけ、自分だけは幸せになろうなどとは、
まことに恥ずかしい、申し訳ないと、ほんの少しでも、
それぞれの分に応じて、人びとの幸せのお役に立てるような生き方をしようと志し、行動したいものです。

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↑↑↑楡25観無量寿経変壁画(中唐)

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↑↑↑『観無量寿経四帖疏伝通記」9冊』

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↑↑↑楡林窟第3窟普賢変広範図

※左中程:
【玄奘三藏】
   及び白馬を牽く猴行者の姿

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↑↑↑『玄奘三藏取経図』

【無量寿】

  
正信偈は ”帰命無量寿如来” 
           
  から 始まります。

インドから伝わったお経を 鳩摩羅什が中国語に翻訳するとき
「仏説阿弥陀経」では 無量寿と訳すべき言葉も 無量光と訳すべき言葉も
共に阿弥陀と訳しているということです。

したがって阿弥陀仏とか阿弥陀如来という場合 内容的には 無量寿無量光如来という意味だと言われます。

【無量寿】

とは仏の救いの時間的無限性をあらわし、

【無量寿】 とは 空間的な無辺性をあらわしており
時間的空間的な限定を超えて、あらゆる衆生を漏らさず救う仏という名であるといわれます。

親鸞聖人は、「摂取して捨てざれば 阿弥陀と名づけたてまつる」
と言われます。

ところで 七高僧のお一人 曇鸞大師には、 こんな逸話があります。

中国北部の五台山近くの雁門で生れ、当時の仏教研究の中心地である
五台山で仏道修行にはげんでいた曇鸞大師は 六十巻もある難解な大集経の注釈書を作ろうと思い立ちましたが あまりの困難な作業に途中で病気となりました。

こんなことでは困る、仏教の経論釈を学び尽くすには 
長寿でなければおぼつかない、長生不死の法をまずは身につけようと、50歳ごろ、南方まで旅をして、首尾よく
仙術の道士に出会い、
念願の奥義の書を伝授され、これで長生きをして、仏教研究が続けられると喜び勇んで帰国の途中、洛陽の都に立ち寄ったところ、

ちょうどそのころ、洛陽には 菩提流支【三藏】がおられました。

【三藏】は 北インドからシルクロードを通って多くの経典を携えてきて
中国語訳につとめていた僧でした。

曇鸞大師は、得意気になって仙術の書を見せ 仏教には長生きの教えがあるのかと 問いただしました。

【三藏】は それに応えて

「少々長生きして何になる。

すみやかに生死解脱の真の長生不死の法を求めよ。

限りない生命を得る、真の不死の書はこれだ。」と言い放って

【観無量寿経】を示したのでした。

曇鸞大師は せっかく手に入れた仙経を焼き捨てて 浄土の教えに帰し、
念仏三昧の生活に入って、天親菩薩の浄土論を 注釈した浄土論註や
讃阿弥陀仏偈など 浄土真宗にとっては 重要な書物を残していただきました。

正信偈では ここを 三藏流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦 
意訳では 曇鸞大師は 仙術に親しんでいたが 
三藏法師の菩提流支に出会い

【観無量寿経】を授けられると
仙術の書を焼き捨てて、浄土のみ教えに帰入された。

・・・と あります。

Journeytothewest

※『西遊記』:

物語の縦軸に

【玄奘三藏】の波乱の人生を、

横軸に無敵の仙猿・孫悟空の活躍を置き、

【玄奘三藏】一行が天竺を目指し取経を果たすまでを描いている・・・

▼ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%81%8A%E8%A8%98

気づきますと  ただ長生きをしたいために 努力している人があまりにも多いようです。

浄土の教えこそ 真の長生不死の法とは どういう意味か 
なぜ 限りない生命を得る教えなのか。

教行信証の現代語訳で 正信偈の曇鸞大師のところは
曇鸞大師は、梁の武帝が常に菩薩と仰がれた方である。

菩提流支三藏から浄土の経典を授けられたので 仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された。

天親菩薩の「浄土論」を注釈して、浄土に往生する 因も果も
阿弥陀仏の誓願によることを明らかにし、
往相も還相も他力の回向であると示された。

「浄土へ往生するための因は、ただ信心ひとつである。

煩悩具足の凡夫でも この信心を得たなら、仏のさとりを開くことがでる。

はかり知れない光明の浄土に至ると、あらゆる迷いの衆生を導くことができる」と述べられた。

とあります。

阿弥陀如来は 時間的空間的な限定を超えて、あらゆる衆生を漏らさず
救う仏という意味でしょうが、その阿弥陀如来と同体のさとりを得て

あらゆる迷いの衆生を導くことができるということはどういうことかを 
はっきりと味わわせていただきたいものです。

自分らしさで味わいを表現し、
  
  お念仏を共に喜ぶ

    有り難い人生を
       
       頂いたものだと

味わう毎日です。

   合  掌

Kippu29

【夏目 雅子:
    玄奘三藏・西遊記】

Masako_natsumesongokugakusyusei02

Masako_natsume

良い お年を ♪<(_ _)>

お お き にっ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪大阪yumenakama08

Smokes990355

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