« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年9月

2012年9月12日 (水)

【黒部の太陽】&【ローマの休日】

【黒部の太陽】&【ローマの休日】

Book21044

Kurobenotaiyou001

★『黒部の太陽』関西上映会★

昨日9月9日(日)≪重陽の節句・菊の節句≫
の日に、当方大阪枚方市

【枚方市民会館 大ホール】で、あの懐かしい映画上映会が有りました。

まっ、きのうは所用もあり又、数回は見たであろうか!
「淀川 長治」よろしく解説が出来る位でしょう♪(^_-)-☆

でも、青春時代の“憧れの人” 裕次郎♪<(`^´)>

顔も足も何も全く似ていないのに“心 髪型 仕草”の想いだけは裕次郎そのものに成っていた、良き時代でもありました。

映画界の新しい夜明けの切っ掛けとなった作品、「あの世界の三船」もが協力・・・追って、my会社ゼネコンの兄弟会社の熊谷組の建設現場が題材となればなおさらです。

最初の上映当時昭和43年、社でも見に行く様にと社内回覧も廻ってきました。

★=数回観た映画はっ♪=★

【黒部の太陽】 「ベン・ハー」 「十戒」 「大脱走」

【ローマの休日】 「風と共に去りぬ」 「カサブランカ」「駅馬車」「忠臣蔵」「宮本武藏」・・・

今テレビ等で数回は、「チャングムの誓い」「イ・サン」「相棒」<寺脇康文>以外の相棒は見ない。♪(^_-)-☆

ガキの頃に、良く見れたのは近所歩いて5分、我が家(京都壬生)の一筋東の通り「日本座通り」にあった

【日本座】の影響でしょう♪(現存しない)

恐らく明治時代から継く一流の芝居小屋(現南座と同等)で、芝居・歌舞伎・狂言~漫才・・・であったが、小生が物心付いた頃には二流の映画上映となり、二本立て、三本立てだったと記憶します。

【日本座】歴史を調べていますが資料等ネット上では殆ど見つかりません(書籍販売は1冊数十万円もします、何冊も必要なんです(・_・;))

(今、読める範囲のものは・・・↓↓↓)

▼  https://picasaweb.google.com/102863313680086704152/ScrapbookPhotos#slideshow/5786434246574525730

♪いやぁ~!映画って本当にいいもんですね♪

♪“ サョナラッ  サョナラッ ”♪

【ローマの休日】

数日前 衛星放送で 昔懐かしい映画を後半部分だけ見ました。

王女であることの不自由さから 逃げ出したいと オードリーヘップバーン演じる
一人の王女様が 特ダネを取りたい外人記者の案内で ローマの街を縦横に
駆け巡り 自由を満喫するお話です。

自分の責任から逃れたいと 思ったものの 王女としての責務を捨てきらず
自由きままな生活を 振り切り 投げ捨てて 
王女として生きていくことを決心するという結末です。

見ていて感じました。
世の中には 自分はこのままでいいのだろうか もっと違う世界があるの
ではないかと 悩みながら 吹き切れずにいる人が多いものです。

自営業の跡取りとか 二代目経営者、あるいはこのままサラリーマンでいいのか。
ただの 主婦として 妻として 母として 生きていていいものか。

この不自由さ 重圧から逃げ出したいと思いながらも それもできず
ぐずぐず もやもやしながら 暗い毎日を送っている人たちです。

食べるためや 雑務に追われて考える余裕もない時には とてもそんな
悩みを持つ時間はないのでしょうが、ふと余裕が出来て 
自分の置かれた立場を見ると、不安や不満が充満してくるのでしょう。

ことによると 余裕ができた贅沢病かもしれませんが 思い切って 
これしかないと はっきりと腹を決め切らない人たちです。

この王女さまも 自分の置かれた立場に 迷っていたのでしょう。
しかし、自分だけのためではなく 多くの人びとへの
責任を感じた時 自分は 自分の置かれた立場を生き抜くしか方法がない
同じことなら 嫌々ではなく 進んで その役を務めていこうと
ローマの街で 楽しい思い出を通して 決心したのだろうと思います。

映像が白黒ですから もう 数十年前に作られた映画でしょうが、
そうした 人間の抱える問題は 時代が変わっても変わることなく
こうして 繰り返し放送され感動を与えているのだろうと 思いました。

そして これでいいのだ この立場をこの人生を
迷わず 精一杯生きぬこと それが 自分に与えられた使命であると
はっきりと踏み出させてくれるのが 私たちにとっては
お念仏の教えではないかと感じています。

ああだ こうだと迷わずに この道しかないと 分かったら積極的に
進んで行こう 苦しいからとか 辛いからとか 自分には向いていない
とか 悩まずに 自分でやれることを 十分にやって それでいいのだ
いろいろあっても お念仏の人は 必ず 仏にする やがて仏して
活躍できるのだ。

心配しなくていいのだよ 今この瞬間を十分に
生きていきなさいと 呼びかけ励ましてくださる
それが 南無阿弥陀仏のお念仏の働きではないかと 感じました。

【ローマの休日】を 見ながら ぐずぐず言わず、やりたいことがあるのなら
さっさと やってみなさい、そうすれば やはり 自分の出来ることは
これしかないのだと はっきりと確認できる。

そのための区切が 王女さまにとっては ローマの一日だったのでしょうが
私にとっては その踏ん切りをつけてくださるのが、お念仏との出会い
お念仏の働きなのだと思います。

やがて仏になるとは 自分の幸せだけに生きるのではなく 多くの人の
幸せのために生きることを意味します。

同じことなら 同じ一生ならば 喜んで楽しんで 自分が出来ることを 
精一杯やらしていただこう 南無阿弥陀仏を口にし 南無阿弥陀仏を聞きながら

南無阿弥陀仏とともに。

お お き にっ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪大阪yumenakama08

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 9日 (日)

【アリガトウ】:お お き にぃ~!♪(●⌒∇⌒●)♪京都  どすぅ~っ♪

Book21044

【アリガトウ】生まれ育った京では“おおきに”どす。

京都独特の使い方として「こんにちは」「さよなら」のニュアンスで使うとの由。

Ichimame02


我々の時代には道でパッとであったときなど
“あっ、おおきに”
別れ際に  “ほな、おおきに”
人情味溢れた魔法の言葉どした。

「おおきにありがとう:than kou very much」どす。
まさに、耳と目と心で感じる感謝の言葉どす。

「おおきに」は、「大きに」で、元は「大いに」の形・程度を
表す「非常に」という意味であり古語の形容動詞「大きなり」の連用形(意味:大いに、とても、大変等)どす。

「京都裏腹語」:単純な感謝と取ると大きな勘違いになる事大いにあり、

ぶぶづけ:お茶漬け」のお話と一緒、怖いどすぇ~っ♪(^_-)-☆

  
京都に18年、大阪に50年の小生、そんな意味合いを込めてネット上で、今は大阪やさかい此れを欠かせへんっ♪
【myロゴ&trademark】

お お き にっ!♪(●⌒∇⌒●)♪大阪

京都に帰ったら↓ ↓ ↓

お お き にぃ~!♪(●⌒∇⌒●)♪京都  どすぅ~っ♪

Maiko2828


舞子はん:義捐金「お金を入れたら、

“お お き にぃ~!♪(〃⌒ー⌒〃)♪”って
言ってくれはったぁ(●^o^●)


【御協力お願いします。】
 
 http://www.dff.jp/

 =協賛企業が出ます、お手数ですが、又、クリック!=♪(^_-)-☆)

ご協力“あっ♪”お お き にぃ~!♪(●⌒∇⌒●)♪京都 どすぅ~っ♪


=おまけどす♪=


 http://www.youtube.com/watch?v=64MKzTZsnNE


 http://www.youtube.com/watch?v=YYZy4QSNOH0&fea..


 http://www.youtube.com/watch?v=XKPexbOBV9Y



【アリガトウ】

私たちの生活は「こと、ひと、もの」で成り立っていると
教えられます。

「こと」とは、毎日の世事一切の出来事、「ひと」とは、
周りの人のこと、「もの」は物品です。

周りの人への感謝の表現はなかなか難しいものです。

そこで、先ず身近な「もの」つまり「道具」に「アリガトウ」と
いうことから始めようと思いました。

人は笑うかも知れませんが、ここは理屈なしに何にでも
「アリガトウ」ということから始めようと思い立ちました。

 先ず朝、起き上がり毛布をたたむ時「一晩暖めてくれて
アリガトウ」、足を通すパンツにも「アリガトウ、一日たのむよ」、スリッパにも「足を包んでくれてアリガトウ」。

とにかく手、足が触れるもの全てに「アリガトウ」を言う。
そのうち殊勝な自分がおかしくなって、つい笑ってしまう。


つまりひとりの時に笑顔が出ることになりました。

「これはいいなあ」とやっていると、自然に「わが身」にも
「アリガトウ」が出る。

手や足、目や耳に「70年間よく助けてくれたのに今まで
一度もお礼をいわなかった。スミマセン、アリガトウ」。

そのうち「他の人」へ、身のまわりに起こる「こと」にも、
時にはアリガトウが出るようになりました。

その結果、自然に分かって来たことが幾つかあります。

先ずは、「イライラ、セカセカ」がなくなってくることです。
何をやるにも無意識にせかせかする癖があったのが、
「アリガトウ」を言いながらすると自然にそれが消えています。

二つに、何故か心が和んで来る。すると、やることが
失敗なくスムーズにできる。

三に、言っているうちに分かって来たことは「アリガトウ」と
言うのがアタリマエということ。
何故ならそれらの力添えで私の生活は成り立っている。

だから感謝の言葉はなにも特別の善い行為でも何でもない。

むしろ言うことで、自分が幸せな気分になる作用をもって
いることに気付きます。

四に、不思議に、周りの人を責める気持ちが少なくなっている。

五に、何よりも面白いことは、考え方が積極的になる。


例えば、朝目覚めて神経痛で右足が痛い。

今までは「ああ、イタイ、ツライ、朝からイヤダナ」の気分で、
のそのそ起きていたのが「痛いのは、人一倍?、私の為に働いてくれたのだ。
それなのにいままで一言の礼もいわなかった。
すまなかった、アリガトウ」すると、
「痛いと言っても身体のごく一部じゃないか。
手も動く、目も見える、歩くことはできる。

それなら結構じゃないか」という思い方になっている自分に
気付きます。

そして前よりも気分あかるく起きていくことが出来るようになりました。・・・・

という体験談をを元にしたご法話です。


 アリガトウと同じように、南无阿弥陀仏も感謝の言葉、
南无阿弥陀仏を口にする生活をしてみると、アリガトウと
口にする生活と同じく、徐々に変わっていく自分が見えて来て
有り難いものです。


お お き にっ! ♪(〃⌒ー⌒〃)♪大阪yumenakama08

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 8日 (土)

【蝉は春も秋も知らず】♪(=^・^=)

【蝉は春も秋も知らず】♪(=^・^=)

 蝉なくや 我家も石に なるやうに 



 蝉時雨 より抜け出して 法師蝉 

Book21044_2

小さな川に寄り添っている我が家の庭や裏の丘で、あれ程騒がしかったアブラゼミ達も随分静かになりました。

替わって、ツクツクボウシが薄暗くなった薄明時に小声で鳴くのが遠く聞こえてきます、

寂しくもあり、懐かしくもありの、今日この頃♪(●^o^●)

myトイレ 家内の作った 「カレンダー」も
「お月見」の絵に替わりましたぁ~っ♪(^_-)-☆


そう言えば今日、公募展に落選の絵画が戻って着ました、
 ”お買い上げ”成らず!(涙)(・_・;)
取敢えず玄関に飾る♪(^_-)-☆、そしてもう一つ、

【関電管内 節電効果11%…夏の要請期間終了】

201209082095831l

関西電力や中国電力、四国電力など西日本の電力6社が7月2日から要請していた節電期間が7日、終了した。

『関電大飯原子力発電所3、4号機(福井県)』の再稼働や火力発電所の稼働を例年より増やしたこともあり、電力の供給力不足による計画停電は回避でき需給は安定的に推移し、電力使用率は92%が最高だった。

原発再稼働が無かっても最高時95%程度であり、バカの安全性宣言:再稼働等何の意味も無かったし、追って2030年時の「原発ゼロ」論議は矛盾する。

  http://www.youtube.com/watch?v=AwwdYbpLOio

0e82a6fb

5_16haikikan3gouki

“30年時にゼロに!は、危険だから安全で無いのでがベースの論議であるなら、今現在も当然危険な存在であり即刻すべての原発は無くすべしであろう。

何よりも被災者の思いを汲んだ政策で無ければならない。




【蝉は春も秋も知らず】


お寺の境内は、いま蝉の大合唱が、
朝早くから続いています。

よく見ると、木の下には蝉の穴がたくさんあります。
蝉は、暑くなってから地中からはい出して来たもので、
秋がくる前に死んでしまいます。

暑さが終わる前に死んでしまいますので、
たぶん、この世界というところは一年中暑いものだと思っているのでしょう。

今は暑いけれども春は、気持ちがよい時期があったことも、
そして、涼しい秋がくることも、冬には雪がふることも
全く分からないのです。


「 ※ ケイコ春秋を識らず 」 という言葉があります。

は春も秋も冬もあることを知らない。

では蝉は夏を知っているかというと、
実は、今が、夏であることを知らないのです。

春と秋が分からなかったら、
今が夏であることが分からないのです。

自分がいる今ここが、どこかが、
分からないということです。

は、暑い夏にいながら今が夏であることがわからないように、
私たちも仏法を聞かなかったら、

自分が人生という生死の苦海の中にいるということも
わからないのです。

何かわからないまま生まれて来て、
人生というわけのわからないことをやって、
わけのわからないままに死んでしまう。

ということが生死の流転を繰り返しているということです。

「 私は人間だ 」 と誰もが言っていますが、
それはただ言っているだけのことです。

皆が言っているから言っているだけでありまして、
その人間というものは、そもそもどういう存在かということは、
分かっていないわけです。

われわれ凡夫は、まあ蝉のようなものだと思います。

仏様の教えを聞かないと、自分がいるここがどこであるのか、
そして自分は何のためにここにやってきたのか、

この自分とはいったい誰であって、死ねばどこへいくのか、
それは分からないでしょう。 それが分かると、今わたしがすべきことが少しは見えてくるようです。 希望が一杯で、 生き甲斐ある、充実した人生を歩ませていただきたいものです。 だから、なにものでも、大切にして粗末にしてはならない。 との言葉を味わいたいものです。


もうすぐ【秋季彼岸会】若い方をお誘いのうえ、ご参拝ください。

※秋季彼岸会のご案内 9月20日(火)~26日(月)

「本願寺」と「大谷本廟」におきまして、秋季彼岸会が行われます。

「西本願寺←→大谷本廟 無料循環バス」をご利用ください。

※「白洲布教」  

「本願寺」  24日・25日 9時~ 白洲内テントにて

「大谷本廟」 23日 9時30分~ 24日 13時30分~ 明著堂前白洲内テントにて


彼岸とは、念仏の教えをいただいたものが、いのち終えて生まれていく悟りの世界です。彼岸へと続くただ一つの道、念仏の道を歩ませていただく願いに出遇う法要が【彼岸会(ひがんえ)】です。


※ ケイコ:【 蟪蛄 】 =蝉です。
   
  ・・ケイが出ませんネ! 虫 偏に + 惠ですが♪ ⇒ ⇒ 

お お き にっ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪大阪yumenakama08

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 7日 (金)

続々ぞく講和:【誰のために】

★=昨日の日記で文字数の関係で抜けた分です。=★

  ⇒ (9/6 スポーツ報知)

【東国原氏 東京1区と比例重複?

東国原氏、東京1区重複も比例東京!「維新」次期衆院選出馬要請へ 
  

「大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)が、次期衆院選で擁立する方針を固めた前宮崎県知事の東国原英夫氏(54)に比例東京ブロックでの出馬を打診することが5日、維新の会関係者らへの取材で分かった。同会幹部は6日に大阪府内で東国原氏と会談する予定。会談では比例東京以外の複数案も東国原氏側に提示するとみられる。・・・



 ⇒ (9/6 毎日新聞)

Rennyo5_1

【<山科本願寺跡>蓮如が使用か 「サウナ風呂」の跡発見】

浄土真宗中興の祖・蓮如(1415~99)が築いた京都市山科区の山科本願寺跡で、蒸気で体を温める「サウナ風呂」の跡が見つかったと市埋蔵文化財研究所が6日、発表した。本堂に近い場所に位置しており、蓮如が使っていた可能性が高いという。

 山科本願寺は1478年、蓮如が布教拠点として造営を始めた。堀や土塁を巡らせて壮大な規模を誇ったが、1532年、法華宗徒らに攻められ、焼失した。

 風呂の遺構が見つかったのは、寺の跡地の西端の一角。石風呂、かまど、たたき、井戸などの跡と見られる。石風呂は南北約6メートル、東西約3メートルで、地面から約1メートル掘り下げた構造だった。粘土や石で固めたドーム状の天井があったと見られる浴室と準備作業のための前室に分かれていた。

 まきを燃やして熱した地面に塩水をまき、蒸気を発生させるサウナ形式で、こうした石風呂は当時、西日本に広く分布していた。・・・

Rennnyo142502

Nb52h8ka52h8kqtufnrte7310g84210

一人旅が好き】(コミュ:趣味人倶楽部)

♪~“風に吹かれて、流れる雲に身を任せ、
風の出所尋ね、壊れた親父が今日も行く、行く、一人旅。

なんて気取ってみました。
一人旅大好きな、あなた、お話しましょう、語りましょう、

旅の目的は出逢いです。
旅のお嫌いなあなた、それはあなたが恋をしていないからです。

旅に出れば、もっと素敵な自分に、出逢えるかも知れません。”~♪
(コミュ・管理人の言葉)

【誰のために】


Book21

僧侶の方で、旅行好きの方があります。仏教の発祥の地であるインドとか、
仏教が伝わってきた中国とか、お釈迦様の時代の仏教を今に伝えている
東南アジアの国々にです。

そこには現代の我々が気づいていない教えの原点があるのでしょうが、
交通も宿も環境も決してよい状態ではないのに、繰り返し出掛ける方に
頭が下がります。

便利さに慣れ切って、自分の思いどおりにならないと気が済まない私には
決して出来ないことです。

 ところで、同じ旅行でも観光地やおいしい料理を食べる楽しい旅行もあります。

目を楽しませ、舌を、心を、我が身を楽しませ、日常から離れて、知らない違った
環境の中に身を置くことで、癒されたり新たな発見があったりするためでしょう。

好きな人は、頻繁に出掛ける方があるようで、春休みだ、夏休みだ、
年末年始だと、海外へ出掛ける方の多いことは、そうした現れだろうと思います。

その旅行も両親を招待してとか退職して妻に感謝するためとか、子供たちへ
知らない土地を見せたいとか、自分だけの楽しみではなく誰かのためにという
旅行も多いと聞きます。


 遊びというものは自分自身が楽しむために行動するのでしょうが、どこか
後ろめたさを感じる世代と、感じない世代があるように思います。

そこには、人間は自分だけの楽しみのために生きることは、余り良くないことだとの
思いがあるのだろうと思います。

自分だけの喜びは瞬間的で長続きがせず、誰かの喜びを目にすることの方が
より大きな喜びであると感じるのも確かです。

 ご文章の末代無智章には、「こころをひとつにして・阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、
さらに余のかたへこころをふらず・一心一向に仏たすけたまえともうさん衆生は・・・・・」
「かならず阿弥陀如来はすくいましますべし」とあります。

救うとは、やがてお浄土へ生まれさせ、自分と同じ働きの出来る仏のさとりを得させ、
活躍することの出来る能力を与える。

そのことを信じることが出来るようになる、「信心」が与えられると、今この場所で仏の
仲間になるということですが、これは何を意味しているのでしょうか。

私は自分のことだけを考えて、この苦しみや悩みや不自由さから逃れたいと
願っていますが、救われるということは、やがて将来お浄土で完全にその苦しみが
なくなるものの、今ここでは、自分のことよりも「衆生」のこと、一人残らず全ての人のことを
心配することが出来る仏の仲間になるということです。

自分のことだけしか考えることの出来ないこの私に、仏と同じように自分以外の人の
ことを心配し努力することを目標にすること、それが、本当の喜びだと教えて
いただいているのだと思えます。

念仏に生きるということは、自分のことだけを考える私が、我が孫に心を配るように、
全ての衆生を心配することが出来るのが、本当の喜びであると気づかせていただく
ことではないかと味わえます。

幸せは、自分だけの、我が身を楽しませるものではないと、気づかせていただくのが
お念仏の働きではないでしょうか。

それが分かると、今わたしがすべきことが少しは見えてくるようです。

お お き にっ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪大阪yumenakama08

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 6日 (木)

続々講和:【善悪のふたつ】

【各党が維新に熱視線、小沢氏「一番の受け皿」、渡辺氏「よき友」】
(MSN産経ニュース 9/3 )

橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会が国政進出の方針を決め、次期衆院選への準備を加速させていることについて2日、与党から牽(けん)制(せい)の声が上がる一方で、「第三極」結集などを訴える野党各党は連携に改めて意欲を見せた。

・・・・・・・= 略 =・・・・・・・・
 
 一方で、第三極の統一戦線「オリーブの木」構想を提唱している新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表はNHK番組で「(第三極が)競合してぶつかり合うのではなく、力を合わせて頑張ってくれというのが国民の声だ」と述べ、連携の必要性を強調した。

 みんなの党の渡辺喜美代表は同番組で、維新の会との合流交渉が不調に終わったことに「志同じくするよきライバル、よき友であれたらいい」と説明。「(合流の)交渉は別に決裂したわけではない」と力説した。

 維新の勢いは自民党も意識せざるを得ず、谷垣禎一総裁も同番組で、次期衆院選後の政権の枠組みについて「選挙結果を踏まえなければ分からない」と述べ、連携に含みを残した。

国政政党以外でも名古屋市の首長政党である減税日本(2011年以降は国政政党)、中京都構想を掲げる愛知県の首長政党である日本一愛知の会、現職・元職の地方首長・地方議員が中心の日本創新党、松山市の松山維新の会と協力関係にあるとされ、個人では東国原英夫前宮崎県知事、石原慎太郎東京都知事が協力関係があるとされている。


⇒ ⇒(読売新聞 9/5)【国政進出 不満募る維新府議ら】

「勝手に国政行け・第2自民党か…維新府議ら不満」

 地域政党・大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)の執行部が加速させる国政進出への動きに対し、所属地方議員らが反発を強めている。・・・

Plt1208151801014p1_2

Book21


【善悪のふたつ】
 

私どもの日常生活は、意識しているかしないかにかかわらず、
常に自己中心的な思いに支配されています。

自分に都合のいいものを「善」といい、自分に役立つことがらを「是」とし、
自分に都合の悪いものを「悪」といい、自分に邪魔な存在を「非」と
呼んでいるのです。

そして自分に都合のいいものに対しては愛着し、都合の悪いものには
憎悪の感情をもって対応しています。

こうして私どもは自己中心的な自分の心に左右され、善悪、是非を判別し、
愛と憎しみの世界を描き出していくのです。

人間の顔が十人十色であるように、人はみな都合がくいちがっています。
私にとって都合のいいことが、他の人には悪であったり、相手にとって
是であることが、私にとっては非であったりすることは、いくらでもあります。

ですから、自分の都合だけを中心にして判断し、行動していけば、
必然的に争いが起こってきます。

たまたま利害関係が一致するものは同志として結びついて党派をつくり、
利害が相反すれば敵とみなして憎悪をもやしていきます。

こうして人は、愛憎の煩悩に翻弄されながら満身創痍の人生を送っていると
すれば、まことに「そらごと、たわごろ」といわざるをえません。

こうした人間が形成していくさまざまな集団、家族・親戚・地域共同体・
民族・国家は、いずれも強力な自己中心性を核として成立していますから、
いつはてるともしれない抗争がつづくのも当然といえましょう。


親鸞聖人は「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり」と仰せられたと
歎異抄にあります。


自己中心的な思いに支配されて、自分の都合をいつも価値判断の中心にすえ、
自分にとって都合が善いか悪いかだけで、互いに善だ悪だといい争っている
私どもの日常のいとなみの空しさと虚構性を、ズバリえぐり出すような
ひびきがあります。

 これに対して、すべてを知り徹された如来だけがなしうる「まこと」の判断と、
煩悩具足の凡夫がなす「いつわり」の判断とが対比されています。


如来が一点の私心もまじえることなく、すべてを知りつくす真実の智慧をもって
「よし」と断定された道は、自他ともに安らかな涅槃のさとりを開くことの
できる道であり、「あし」とおおせられる行いは、自他ともに破滅におちいる
煩悩悪業をさしているのです。


仏教とは、こうした如来の見極めた真実の道の実践を説くものだったのです。


お お き にっ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪大阪yumenakama08

※『添付:写し』↓ ↓ ↓

『歎異抄』は原本が伝えられていない、

現存する写本の中で最も古いの。

【重要文化財】:西本願寺所蔵:蓮如写本

【端坊旧蔵:永正本】

A_top_urabyousi

②:「表紙&裏表紙」

A_0010018

③:「序」~=今回・略=~「奥書」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 5日 (水)

【わがものは一つもない】♪(●^o^●)

【わがものは一つもない】♪(●^o^●)

 

Book21_2

こんなん見付けましたぁ~っ♪(=^・^=)

挑戦してみませんか!!

【性格診断あなたは、物を大切にするタイプ?】

 http://mondou.jp/visitor/quiz/id/1386

””あなたが物を大切にするタイプなのか、そうでないのかチェックしてみましょう。””

 (結果に、責任は負いかねます(^_-)-☆)

昨日、嫁いでいる娘が来て、子供を産んだ後は昔の服が着れないって何枚もの服やジーンズを家内に手渡していました。

今日、家内は”小さくて穿けないよ~<`ヘ´>”

っと云い乍、腹を凹まして む り や り!

 買い物に出かけました(・_・;)

【わがものは一つもない】


 人は だれでもその家計のことについては、専心に蟻のように励み、
蜜蜂のように努めなければならない。


いたずらに他人の力をたのみ、
その施しを待ってはならない。

また努め励んで得た富は、自分ひとりのものと考えて自分ひとりの
ために費してはならない。

その幾分かは他人のためにこれを分かち、その幾分かはたくわえて
不時の用にそなえ、また国家のため、社会のため教えのために
用いられることを喜ばなければならない。



 一つとして「わがもの」というものはない。


すべてはみな、ただ因縁によって、自分にきたものであり、しばらく
預かっているだけのことである。


 だから、一つのものでも、大切にして粗末にしてはならない。


 
※1:アーナンダ(阿難)が、ウダヤナ王の妃から、五百着の衣を
供養されたとき、アーナンダはこれを快く受け入れた。


王は これを聞いて、あるいはアーナンダが貪りの心から
受けたのではあるまいかと疑った。

王はアーナンダを訪ねて聞いた。
「尊者は、五百着の衣を一度に受けてどうしますか。」



アーナンダは答えた。

大王よ、多くの比丘は破れた衣を着ているので、彼らにこの衣を
分けてあげます。」「それでは破れた衣はどうしますか。」


「破れた衣で敷布を作ります。」「古い敷布は。」「枕の袋に。」


「古い枕の袋は。」「床の敷物に使います。」「古い敷物は。」


「足ふきを作ります。」「古い足ふきはどうしますか。」


「雑巾にします。」「古い雑巾は。」

「大王よ、わたしどもは

その雑巾を細々と裂き、泥に合わせて、家を造るとき、
壁の中に入れます。」

20120828_5041113

P1080599

20120828_5041110



ものは大切に使わなければならない。

生かして使わなければならない。

 これが「わがもの」でない、預かりものの用い方である。



仏教聖典の中に、こういう文章がありました。

物が豊になった現在、これは自分のものなのだと粗末に使い、
必要ないとどんどん捨てていますが、本当は仏様からの預かり物、
一つとして「わがもの」というものはない。

すべてはみな、ただ因縁によって、自分にきたものであり、
しばらく預かっているだけのことである。


 だから、一つのものでも、大切にして粗末にしてはならない。
との言葉を味わいたいものです。




※1:アーナンダ(阿難)

阿難(あなん、アーナンダ):生地=インド

釈迦の十大弟子の一人。

多聞第一(たもん・だいいち)と称せられた。

(師の)摩訶迦葉の跡を継いで「仏法付法蔵の第3祖」となった。


・・・尚、「多聞」は、my父の戒名にあり(関係nashi)

お お き にっ! ♪(〃⌒ー⌒〃)♪大阪yumenakama08



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 4日 (火)

【60数年間勉強嫌い♪(^_-)-☆】:

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 3日 (月)

【誰が 救われるのか】

【誰が 救われるのか】

07


阿弥陀如来の救いの正機 (めあて)は、悪人であります。


この 「悪人」 とは、如来の光りに 照らされて知る 「わたくし」の代名詞にほかなりません。

たとえ 世間的には、よい人だといわれても、 また法律の罪は犯して いないからと いっても、 胸をはって、自分は善人だ といえるでしょうか。


悪とは そういう表面的なこと ではなく、もっと根の深いところにあるのです。

わたくしたちは、当然 なさねばならぬことを、保身のために 怠ったことはないでしょうか。


ことばや行いにこそ、あらわすことをしないものの、心のなかでどれだけ人を傷つけ、おかし、ほうむり さったことでしょう。

もっともらしい大義名分に 名をかりて、その実は自分の立場や利益を守ろうとし、他人を苦境に 立たしたことは ないでしょうか。




生きるためには やむをえないといって、どれだけ多くの生命をうばっていることでしょうか。


仏の鏡のまえに 照らしだされて、「罪悪深重の凡夫」 以外の存在であるといえる人がはたしてあるでしょうか。

それでいて、救いの正機が 悪人であると 聞かされれば、頭をめぐらしてよそに悪人をさがすほど、このわたくしは 救いがたい存在なのです。


そのわたくしが救われるのですから、考えてみれば これはたいへんなことであります。


ただここで 注意せねばならない ことは、救いの正機が悪人で あるということは、悪事は いくらしても 許されるということ ではありません。

「 救う 」 と 「 許す 」 とは おおいに ちがいます。


子どもが かわいいから といって、子の悪事をよろこぶ親がありましょうか。

如来は、わたくしの悪を嘆きながら、 捨てずして 救い、ふたたび悪におちいることのない仏にすることが、 その願いなのであります。



「 どんなによい薬があるからと いって、好んで毒を飲めという ようなことは、あってはならない 」 と親鸞聖人は、いましめて おられます。


教えを聞いてゆけば、悪人が めあてで あればこそ このわたくしが救いの正客で あったと知らされるのであり、 それでこそ すべての衆生が 救われるのであります。


万人が救われるという 大乗仏教の いたりつく極致が、 浄土真宗であります。


救の目当て が この私であったと 
教えていただけるのが お念仏の働きだと味わえます。


暑さに負けず お念仏の生活を 送らせていただきたいものです。



...........................................................



【南無阿弥陀仏】と念仏を唱え続ける(称名念仏)事で救われるとする浄土宗、浄土宗からさらに踏み込んで

「善人なをもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや(『善人→「自力作善」の者=阿弥陀仏を頼りとせず、自分の力で善根功徳を積んでさとりを開こうとする者』でさえ往生できるのだから、悪人→我々のような煩悩を具足のように身にまとった者が往生できるのはいうまでもないことだ)」という ※ 悪人正機の教えを説いた【浄土真宗(一向宗)】



※ 悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、

「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。

阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生(生きとし生けるすべての者。有情とも)である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。

よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。


お お き にっ! ♪(〃⌒ー⌒〃)♪大阪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 1日 (土)

【防災の日】: 被災者の声を生かした対策を!

【防災の日】: 

被災者の声を生かした対策を! 

=今日朝刊にこんな記事を・・・=ネットで。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/321709

Book21_3

国や政府は何らこの様な思いの政策行動はしていない、今日もお座成りなテレビ放映のみで“やっているふり”<(`^´)>

我家の一面には防災のボの字も見当たらない「フィリピン沖M7.6」だけ、腹立たしいを通り越して情けないの一言です、何の為の【防災の日】か呆れるばかりです。

国民の生活、安全には興味すらない此れが今の政府政治、その政治家が原発は安全と再稼働・・・情けない日本です、もう少し命が永ければこんな日本を脱出したい♪(^_-)-☆

西日本新聞、此の記事で救われた氣になれたのは小生だけでしょうか!?

Desolution_of_nihonbashi_and_kand_3

Metropolitan_police_office_after__3

Robert1_3

【防災の日】、【関東大震災】:【大正関東地震】大正12年(1923年)9月1日発生。

(神奈川県 西部を震源:M7.9・小田原・震度7  東京・震度6
190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる。
建物被害・全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟)

にちなんだものである。広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する・・・

「防災思想の普及、 防災訓練」等これにふさわしい行事が実施される。

防災訓練で思い浮かべるのは何時も

【防空訓練】♪(^_-)-☆

~そして、【隣組】ですっ(=^・^=)  ↓ ↓ ↓

https://picasaweb.google.com/102863313680086704152/lSLvOB#slideshow/5177867855775275394

(「スライドショー」 ▲; クリック)

……………………………

【無党派層は 無関心層ではない】

 ある席で、こんな話をお聞きしました。

「夫婦とは、夫と妻という別物ではなく、夫婦という一つの縁を共に
生き抜くものである。そこから共に育てられる世界がある」

確かに、一つの縁を生き抜く中に、共に学び、育てられる世界が開かれる。


師弟であっても、親子であっても、教え教えられることは、
共に学びを続けることであり、育てられる世界である。


 真実に目覚めた仏のまなざしは、生と死の間に境界線を引いたり、
二つを別物と見たりしない。

“生死”という総体がいのちそのもので あると教える。


死に逝くものと残される生あるもの、両者の間に境界線を引き、
それぞれの立場からだけ、あれこれと論ずる昨今の風潮。


しかしここにも、この両者を一つの縁、一つのいのちとして生き抜く中に、 共に育てられる世界がそこにある。・・・・・と。


そして、その後の特集記事では 葬儀のことを論じた文章続きますが
その中に、こんなところがありました。


いまの「世俗都市」の住人たちの間には、政治領域における党派、
および職業政治家への、あの不信感にも似て、どの宗派とは限らず、
宗派に属する“職業宗教家”への大変な不信感があるということだ。


ここを捉えて政治領域では、よく「無党派層」という言い方がされるので、
宗教学者の間では、それと同様の含みで、“宗教的無党派層”と呼んだり
している。


ただし、政治領域の「無党派層」が必ずしも「無関心層」とはいえないのと
同じく、“宗教的無党派層”も ― さほどの自覚もないまま既成の宗派に
属している名目的信徒と比較してー  むしろ“本もの”の宗教を
求めている可能性がある。


考えてみれば、政治も宗教も本来(しばしば私財を投げ打ってでもされる)
ボランティア活動ないし奉仕活動ではなかったのか、それが、どちらの領域も 制度化されるにつれ、安定収入を伴った職業となり、はては、世襲の家業に すらなっているのではないか。


http://www.youtube.com/watch?v=VXZs4mos6ow&fea..


この度の【東日本大震災】に際しても、誰もの共感を呼ぶボランティアの人たち、
その多くは常日頃、政治不信および宗教不信をかこっていた「無党派層」の
人たちであろう。


いずれにしろ、だから、“本もの”の政治、および“本もの”
の宗教を希求する気持ちにおいて ひと一倍強い人たちに違いない。・・・・

とあります。

どうか、尊いご縁を得て、“本もの”に 出会っていただきたいものです。


同じ人生も 本ものの宗教的に出会うことによって まるで違って
見えてくるものです。



≪ 続 : 次号 ≫

お お き にっ! ♪(〃⌒ー⌒〃)♪大阪yumenakama08

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »