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2012年3月

2012年3月28日 (水)

【睡眠章の大意】

睡眠章の大意】

   (毎月 五日 拝読の大意)

 今年の夏は、なぜかことに眠気におそわれて、
このように眠いのはいったいどうしたことかと考えて
みますに、これはきっと浄土に往生するときが
近づいたのではないかと思われます。

本当にどうしようもなく、またなごり惜しいことです。

 しかし、私は今日までも、往生のときが今にもくるかと、
油断せずにその心構えはしていました。

それにつけても、この土地で、私の亡き後も信心を
決定する人たちが、これから後も続いてくださる
ようにと、いつも心から願っているのです。

私が往生することについては、なんの疑いも
ありませんが、あなたがたの心には、大いに
油断があるように思います。

命のあるかぎり、私たちは、いつ往生のときが
きてもよい心構えで生きるべきです。

しかし、あなた方はその心構えが十分にできて
いないように思います。

 明日をも知れないはかない命です。
命が終わってからでは、なにをいっても
むなしいことです。

命のある間に疑いがはれなかったならば、
きっと後悔するばかりでしょう。

どうぞ、十分お考えになってください。

               (一帖第六通)

お お き にっ! ♪(〃⌒ー⌒〃)♪大阪yumenakama08

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2012年3月24日 (土)

【第1000回 : 遠い目標】

【第1000回 : 遠い目標】

 平成24年 322日~

おかげ様で 1000回を迎えました。皆さまの応援のお陰と感謝しています。

ところで、近頃つくづくと感じることは、現代は 結論をあまりにも
急ぎ過ぎているように思います。
それに、余りにも早くから準備をしすぎているようです。

大人たちの関心は 子どもや孫のことでしょうが、その子どもや孫のためと
小さいときから学習塾や家庭教師などと 大人たちが一生懸命になっている
ケースを 見聞きします。

これは 実は 子どもにとって本当に必要な教育は 誰かにまかせて
自分は責任を逃れているのかもしれません。

人間として生きていくには、学校の勉強や学力だけではなく、幅広い
社会的な見識を学ばせる必要があるのではないか。
点数で評価できるもの 比較して優劣が決められるもの、その評価や優劣に
左右されて、人間誰でも全員が持っている必要がある経験や知識が 
欠落しているようにも 思います。

戦前の貧しい時代は、家庭を助けるために子どもの頃から、働くこと
親を助けること、弟や妹の面倒をみることなど、共同で生活することで
大事なことを、多くの子どもたちが体験し学んでいたと思います。

それが、現代は 生活に余裕が出来、しかも子どもの数が少なくなって
自分が若い頃苦労したために、子どもにだけは 楽をさせたいと甘やかし、
我が儘な片寄った生活をさせているのではないかと、感じています。


 
お仏壇のある家では、昔は仏さま中心の生活をしていたようですが、
今は 仏さまに変わって、お子さま 中心の生活になったのではないか。

そのために、年配の人々は 子どもや孫と離れて住まい、同居しても
発言力のないペットの様に 行動を制限されて生きている人も少なくない
ようです。

 

子どもの本当の幸せを願うなら、仏教的な壮大な価値観をもっと
受け入れ 伝えていく必要があるようです。
阿弥陀如来は、すべてのものを救う、お浄土へ生まれさせ仏のさとりを
得させて、仏のはたらきをさせる。これが、仏さまの願いであり、救いです。

われわれは、試験に合格させてほしい、健康でいたい、この病気を
治してほしい、いつまでも若さを保ちたい、あれがほしいこれがほしい、
死にたくないと願って生きています。

南無阿弥陀仏の願いは、身近には多くの苦しみ悲しみ悩みが沢山あるものの
やがて、それが一つとして無駄なことではなかった。
もっと、末通った人間の究極の幸せ よろこびを 与えるとの教えです。

目先のことに一喜一憂する生活から、もっと遠くを目指した余裕有る
豊かな生活をしてほしいとの願いを、じっくりと味わいたいものです。
しかし、そのどれをも 阿弥陀如来の救いではないのです。
結論は もっと遠くにある 今この瞬間に結果を求めてもそれには
応じてもらえないのです。

として活躍出来るその時のためには みんな有り難い経験だったと
言える 人生を、生き方を与えていただくのだと思います。
南無阿弥陀仏の教えは どんどんどんどん 喜びが増してくる教えです。

年を取れば取るほど、病気をすればするほど、いのちが終わりに近づけば
近づくほど 悲しみ苦しみが増えてくれば来るほど、喜びが増してくる
教えだと味わえます。

すばらしい人生だった、無駄なことは一つもなかったと 味わえる
喜びを与えていただく、それが南無阿弥陀仏のはたらきであり、
お念仏の教えだと感じています。



妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、328日に新しい内容に変わります。

お お き にっ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪大阪

yumenakama08

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2012年3月17日 (土)

【Black Swan (部分)】『宮城県の八木山動物園:黒鳥』&【Nassim Nicholas Taleb】:

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【Nassim Nicholas Taleb】:1960レバノン生まれ。

2007年「世界金融恐慌の警告」
人間の思考プロセスに潜む根本的な欠陥を不確実性やリスクとの関係から明らかにし、経済・金融関係に事前警告を発信した。

2008年に始まった金融危機の後で、"Black Swan robust society" を立ち上げ活動し成功する。

「人々、特に金融業界の人々が不確かさについて考える方法を変えた。

彼の著書
“ The Black Swan” は、

人間が予期しない事象を捉える方法を独創的かつ大胆に分析し結果を出した。

Black Swanが象徴するのは、理論というものを「検証」することは非常に難しく、「反証」することは非常に容易い。

我々は常にBlack Swanを発見してからしか、Black Swanを含む理論を作れないのです。

サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態は、そもそも理論で管理することが不可能。
リスクをコントロールする戦略が不可能ならば、不確実性を積極的に活用するしかない、とタレブは説きます。

【無作為性の研究と理論 】

タレブは自身を「懐疑的経験主義者」と称しているが、

1. 他の懐疑主義者とは異なり、彼の懐疑主義は経験的観測からは稀な事象が必ず発生する確率を計算できないという点にのみ向けられており(黒鳥理論)、科学的知識が通常は役に立つことは認めている。タレブは、我々人間が不都合な結果を考えず、物事にだまされやすいと主張する(Mediocristan)

2. タレブの経験主義は、データからの一般化に抵抗することと、一般原則からのみ考えていると観測時に隠れた属性を見逃すかもしれないということを示唆している。彼は、科学者も経済学者も歴史学者も政治家もビジネスマンも資本家も「パターン」という幻想の犠牲者だと信じている。それらの人々は過去のデータを合理的に説明することの価値を過大評価し、データ中の説明できない無作為さの影響を軽く見る傾向がある。

3. タレブは "Black Swan Robustness" というコンセプトを中心とした社会構築を主張する。それは、特に彼が "extremistan" と呼ぶ種類の事象について、複雑系の低い予測可能性と関連した相互依存の影響を低減させる、というものである。

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2012年3月11日 (日)

【今日は何の日!?:東日本大震災1年に想う】&【八坂神社:をけら祭】

【八坂神社・厄除けぜんざい】

食べましたかっ!(^_-)-

前回の続きです。

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:書き掛け中ですが、

途中掲載『第一部』。

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/【寫眞】(一部加筆)拝借

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左側の塔は弥栄小学校(現弥栄中学校)の一部で、2時間おきに太鼓を鳴らしての見張りと火事と時刻をも知らせる櫓。【太鼓楼】。

南側には既に電柱が並んでいる。(1890年代初期であろう。)

京都電燈會社が日本で最初に琵琶湖疏水の原動力の基、事業用水力発電所「蹴上發電所」が建設設置され発電・送電を開始。

京都の町に電燈が灯された他、日本初の電気鉄道が塩小路(現京都駅)から伏見まで開業、交通網の発展にも繋がりました。

又、鴨川周辺の工場等にも電力が供給され、京都市の産業復興に大きく貢献し近代化を推進しました。

【絵画:八坂神社:をけら祭】(制作途中)

【天皇皇后両陛下・           :追悼のお言葉述べられる】

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20120311-00000983-fnn-soci

【今日は何の日!?:東日本大震災1年に想う】

:【原発は政治的人災ダッ!】

  http://www.youtube.com/watch?v=wVv2K5PAxw0

≪明治の「写真」と平成「絵画」の比較≫

人の姿は・・・どこへ消えたのでしょうか!?

“その昔明治時代【四条通:八坂神社石段下】、夢を持って闊歩する人々活気のある姿を見るにつけ、寧ろ、現代(今~未来)人力車や人々に代わり車が並んで映っている、人っ子一人居ない風景の方が遥かに怖いし恐ろしい氣がします”

(そんな思いで八坂神社の【朮祭】を描いています。)

写真と比べて何ら風景は変わらない事に驚きを覚えます。

山々の姿も全く同じです。「嵐山・松尾山・烏ケ岳」方面でしょうか。

この恐ろしさの原因は・・・

原爆も原子力発電も車もテレビも、政治(家)も・・・

人を蔑ろにした張本人に他なりません、

人に依って、文明に拠って一人たりとも他人を殺して良いと言う事は決して御座いません。

たかが原子力、たかが発電の為に人の命、夢や希望を奪ってはならない、そこには家族を含めた国民達の思いと絆を生活を断ち切るものであり決して引き裂き失ってはならない何かを奪い去る恐ろしい悪魔であろう。

その様な思いで描いています。

・・・=以下 次号=・・・

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