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2011年6月

2011年6月27日 (月)

【偲:三十三回忌】

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=画題=

【想】:故郷(壬生・武信稲荷神社・ロージ)     

そして三十三回忌を偲び、生まれ育った数十年の想いを描いたもの。両親二人が初めて壬生へ来た頃に想いを馳せ若き日を想像しての駄作です、 裏には「お念仏」を書きました。

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・・・戦中戦後・昭和 この物凄い時代を生きて来られた、5人の子供を育てていただいた、 父 母 。

母が亡くなり三十三回忌の今年、末っ子が同じ齢 64に、全ての兄弟と連れ合いが一応に健在、其れはそれは並大抵の事では無かったと察します、これ以上の素晴らしい事は御座いません、全ての遺族が健康で親より長生き幸せに暮らせているのも全ては私達の親の徳、お蔭と・・・

結婚後に母から預かった【額】:「三番叟と白寿を祝った書」、長寿を祈願して戴いたとの母心と最近理解するに至り、・・・

悪餓鬼の親不孝だった私が今涙しても間に合いませんが、お礼と感謝そして懺悔の気持ちをと、この絵に挑戦、数十年の想いを半年費やしてのこの作品であります。

唯残念なのは、描く気持ちも腕も失くした今、絵筆も絵具も買えずに、パソコンで慣れないマウスのみで書いたものであります。人様に御見せするような物にも成らず、追って印刷までも思い通りに仕上がらずに出来栄えは決して満足できるものでは御座いませんが、生まれ育った【壬生】での”想い”イメージは描けたかと勝手に思っています。

そんな【想い】を、この同じ【額】にし、三十三回忌、ご先祖様になられる今日この日に両親とご一緒できればと、贈ります。

合わせて私の闘病時のお気遣い、お見舞い此れまでの御恩に対しての感謝お礼に代えさせて戴きたく兄弟の皆様に受け取って戴ければ幸いです。  私にはこれしか出来ずに 不行き届きの作品、ご笑納の上、粗大ごみ化もOKです。

     

その節は処分料のみご負担願います。(汗)

              

有難うございました。      

私の絵の勝手な想いを以下に書きましたので、何時か読んで頂ければ幸いです。

【武信稲荷神社】、

:ロージを出ると其処は武信、

階段を上がると其処は正に故郷、想(思い出)其の物の場所です。

馬場町東部の

ロージと三条会商店街と共に、良き遊び場でありました。

描き始めて数か月、今年4月、絵に行きづまり何かヒントをと改修中の神社に! 

次兄が知らせて呉れた長男の名前掲示、筆頭に書かれた文字も見てきました。

又、櫻が満開・・・武信に桜が有ったと初めて知りました、子供の時、櫻の樹は無かった様に思うが椿の花は良く咲いていました、絵の中央に配しています、よく落ちた花で手水所の水を貰い、石鹸代わりに擦ると泡が出て汚れた手や顔を洗ったものです。 で、早速絵に桜も追加しました、 行った成果ありっ です。

1、左上部には「戦争と火事」:実家の在るロージ屋根の上、戦火と裏の工場の火事(& 朱一小学校夜の火事も)を想っての【閃光と赤色】です。

そして逃げ惑う人、消防士(お蔭様で実家が類焼せずに助かった)を表現、そんな歴史をこの武信稲荷神社と親が見守って呉れたと描きました・・・

2、そして左下部「神社の石柱群」:すべてを“黒”で表現・・・

 確か雨風での劣化が一因っと、何時かの記憶も定かではないが、石柱の何本かが倒壊し、幼馴染の娘さん(末は博士か大臣かと云われていた)が犠牲に・・・

刻まれた武信の石碑の重たさに涙が・・・で無念の想いを表現。

そんな想いが、「真っ黒い石柱群」になりました。

3、右上部「台風」:子供心に家の窓から見る武信の大木(榎・樹齢850年、平安末期に安芸の宮島厳島神社から移植、龍馬とお龍さん「所縁の樹」、京都市天然記念物指定・・・こんなにも由緒正しい榎、神社と知ったのは可也後年の事ですが)

の思い出は、社の屋根や樹に登ってはライオン(宮司)に怒鳴られたっ!・・・

そして台風毎に、この大木の枝が折れ千切れて飛ばされる様を見るにつけ、薄黒い雲と共に怖かった想いが今も蘇ります。多分「ジェーン台風」(昭和25年秋・当時未だアメリカの占領下でこんな名前で呼ばれた)の時が一番風が強かったかなっ。

そんな今にも吹き飛ばされそうな枝と雲に稲光を交えて、ロージの奥の右上部に「台風と群雲」として配しました。

4、右下部「石灯籠」:なんてたって”灯篭”を見る度に右眉間の傷を思い出します、今でも・・・そう子供の時に走っていて顔と灯篭の角とで喧嘩勝負した!罰当たり。

  “負けても泣かない” 多分この時に「かあやん」に教えられたと想う。 

”男なら、泣くなっ”って、

だからでは無いが灯篭の右側っは書かない! 見えない、 今も書けない。

・・・

そして母:櫻に隠れてはいますが・・・「お針子」(甲子園だったかな?)

「もんぺ姿」で正座して赤ん坊を背負って何時もいつも内職をしていた・・・

一番瞼に焼き付いている母の姿です。

描いたのは、針に糸を通しているのか、歯で糸を切っているのか、針で髪を梳いている仕草か、 そんな姿・・・ (赤ん坊は、私が見たのだから末子しかいないが)

・封筒貼:昔のノリは良かった! 手や顔に着いてベッタベタ・・・

・七味入れ(当時は三角形の袋):クシャミと共に 鼻水と  涙が!・・・

・ペコちゃんの箱造り:目玉入れが難しい、黒のセルロイド・・・

・・・みんな みんな無くなってしまった、 が 想い出一杯の品々です。(涙)

そんな傍には何時も寄り添っている親父の存在・・・

「とうやん」多分今日は手に数珠し、 母を偲んでいることでしょう。   

    

南 無 阿 弥 陀 仏   合掌

長男の手綱(犬のリード)を引く父の姿が御座います。

子供達を「ご浄土」への路標と引っ張って呉れていたのでしょう。

・・・<以下:絵の下部から上へ、生まれた順に描いています。>

長男:昔実家で飼っていた「犬」でイメージ、

全ての兄弟四人を見据えて・・・(兄弟・仲良く 五人が 十人に そして・・・)

父母の、護っていくべく墓石「法名」の石畳を確りと踏み据えて護っています、

新たな歴史・ご浄土への路標として、継承者です。 有難うございます。

次男:兄弟を纏めて合唱する「蝉」(武信・夏の風物の一つ)、壬生のロージの実家をしかと見守って兄弟みんなを看て♪タクトを揮っています。♪♯ 感謝です。

長女:母から離れない、遠くへは行かない「紋白蝶」よろしく、壬生から近い四条大宮に嫁ぐ!  母の“安心  嬉しいっ”て、微笑み 笑顔が見えます・・・ 

今も紅一点、あたかも蝶が群れ飛ぶ「椿の花」です。

三男:大木の枝に登って何時も遊んでいた猿の如し、下にはライオン(狛犬=宮司)の姿が、前述の通り吠えられるので何時も降りる機会を逃して(泣きべそ)・・・

でも矢張り目線は我が家。 神社  ロージ  そして斜めの 丸 太 棒 。・・・

&(もう一つ)実家で飼っていた黒猫・・・こちらも舞台の欄干に登っています、何れにしても何処かに登ったり、裸足で走り廻っていた、だから正月に買って貰った貴重な高下駄もそこいらに、ほったらかし!

四男:武信、榎の周りで何時も飛び交っていた夏の風物のもう一つ「玉虫」、実家の上空を飛び立っては戻ってくる、眼差しの先は家か、将又井戸か・・・先だって見に行った時も井戸水は健在で未だに使っている由、今頃はマクワ瓜やスイカ、トマトを冷やしていたなぁ~っ。弟と二人で仲良く 齧り付いて・・・食べた、あの味・・・

絵になりますか?  (昔描いた井戸端の絵、どこいったかなぁ~っ。)

・・・ 以 下 略 ・・・

尚、壬生での生活、遊んでばかりで良くは存じない、母の事さえ詳しくは聞き及んでいなかったし、あやふやな事ばかりの記述です、間違いや記憶違い、将又別途の私や家族に関わるエピソード等、出来れば写真なども交えてお知らせ願えれば幸いです。 PCMyブログでお遊びとして「my過去の日記」に掲載綴って昔を偲んでいますので、話のネタに致したく思います。

 ⇒ 手紙 or Eメール: xxx>@xx.ocn.ne.jp

 今思えば、素晴らしい母の近くに居られたからこその有り難い沢山の教えを頂戴しました、当時は、気づかなかった哀れな三男坊でした、 

今・・・親 兄弟の

お蔭様で、お念仏の教え、お念仏の生活が極々少しですが解る様な 氣が・・・

以上 お願い方々  父  母   兄弟  故郷に  感謝。

  ありがとうございました。

   南 無 阿 弥 陀 仏  合掌

             

        

                 2011/6/25    

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