2016年3月30日 (水)

【落書き】:『今度こそ・死ぬかと思った』

 

昨日、退院致しました、有難う御座います。・・・誠にご無沙汰緞須、

そしてお返事等滞りお許し願います。

 

未明血圧上昇・脈拍上昇・呼吸困難・痰の色ピンク交じり・・・

七転八倒の苦しみ、ニトロ:ミオコールスプレー舌下錠を・・・

暫し后、徐々に回復し安堵の一日が!

 

三日后、同様の症状が亦、未明血圧上昇・脈拍上昇・呼吸困難・痰の色ピンク交じり・・・

同じ舌下錠を・・・でも今回は回復の兆し無、呼吸困難が益々・・・

2回續いての發作でもあり掛かり附けの“K救急病院に電話っ”と家内に託す、

CCUけ入れOKの許可を貰い、家内が救急車を呼ぶ・・・

電話中から七転八倒の苦しみの中、玄關迄這って徃く・・・

 

救急車のサイレンが遠くに聽こえる、早い・・・

何時もの流れである、もう八回目か!?

今度は此の儘・・・家には歸れないだらう!彼の地へ・・・

 

何時ものやうに約二週閒、心臓リハビリ等のスケジュウールを熟し退院♪

『“今度こそ・死ぬかと思った”』

 

 

【持ち時間】こんな御法話が・・・(目についた)  

 

 

先日、ある方に質問してみました。

 

「プロの囲碁には何故、制限時間があるのですか?」

 「そりゃ、無かったら終わりませんよ」

 「あー、そう謂ふものですか」

 

囲碁の對局には「持ち時閒」と謂ふ制限時閒」が設けられてゐます。

にも關わらず、棋士逹は中々指そうとはしません。然し、唯ぼーっとしてゐる譯ではおません。あらゆる事態を想定して、思案に次ぐ思案の連續なん緞須。

軈て、持ち時閒を使い切ると1分以内に指さなくていけなくなります。時閒が過ぎると、其れ迄の優劣に關わらず負けてしまいます。時閒を讀み上げる人の聲に緊張が走ります。見てゐる此方もハラハラします。勝負の丗界には常人には越える亊の出來ない境地が在る亊を知らされます。

 

扨て、日頃はゆったり、のんびり過ごす亊が此の上なく贅澤で優雅な時閒で在ると思ってしまう亊がおます。

然し、病氣になると病氣と謂ふ「相手」と自分に殘された「時閒」が氣になります。どの位い經てば快方に向かうか、と謂ふ「時閒」と、ひょっとしたら人生の終焉を迎えるかもしれないと謂ふ「時閒」緞須。

見舞客が「ゆっくり靜養して下さい」と聲を掛けて呉れても、當人はゆっくり出來ないん緞須。

囲碁の對局で「 0秒」と讀み上げらてゐる氣分に似ているかもしれまへん。

  

私自身は幸いな事にまだ、大きな病を患った亊がおません。ですから、大病をされて復歸された方の言葉に大變興味がおます。「病の中で何をどう考えたのだらう」と謂ふ事を聽いてみたくなります。  そして、元氣になられた時、愈々思案の結果が試される時が訪れるのではないでせうか。

  

誰もが「持ち時閒」の中で生きてゐるからこそ、勝敗を越えた棋譜を殘したいもん緞須。

 

 

【病苦】

 

お釋迦樣は、人閒には生・老・病・死の四つの苦しみが在る亊に氣付かれ、其の苦しみからどうすれば逃れるかと謂ふ思いから出家されて苦行の末悟りを得られました。

 

病には病状の輕いものから不治の病迄おます。現在では癌、心疾患、脳卒中が三大生活習慣病として恐れられてゐます。

健康の裏側には病苦が在る。其れは逃れたいと思っても逃れられない亊實で在って、誰でも避けて通れないものでおます。

 

では、病苦をどう受け止めたら良いのでせうか。其れは病を得た亊で病を肯定し、其處から生かされてゐる吾が身に氣附かせて貰う亊でおます。

 

癌を告知された知人が、「元氣な時は分からなかった親鸞聖人のみ教えが、自分が病氣に成って、初めて吾が身にしみて傳わって來る。」

と話して呉れました。

 

「病氣になった后、彼れ此れ惱み、迷信に走ったりしなくても、安心してまかせられる尊いみ教えを聖人は一生かけて、私達の爲に説いて下さった。其れを信じて生きて徃けば、何も心配はゐらない。」と謂うん緞須。

 

“生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば

   彌陀の悲願のふねのみぞ のせてかならずわたしける“

 

と和讃される聖人のおことばを信じて生きて徃く亊こそ、苦しみを乘り超えて徃く亊だと思います。

 

南无阿彌陀佛

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   にぃ~っ! (〃⌒―⌒〃)yumenakama08

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2016年3月 2日 (水)

【らくがき】:『my斷酒』

昭咊五十年三月二日(日) 氷點下2℃ 底冷えの亰都 友引。

結納が日、祝酒を頂戴し、今生のれ!

凢夫は以來酒を也。(經濟懷具合也)

彼れから40年!

此の年に成っても酒アルコールが戀しい!欲しく無いと謂へば噓に成ります。

今でも々、だけど手は附けまへん、こんな凮景を夣を觀ます、はいっ♪(^_-)-

 

my書籍で畫いた繪シリーズ=No十九

 

my Windowsペイント画】:『戀しい♪酒を想ふ!』

(゜゜;)此れが凢夫、今生のれ!最后の酒凮景

= 一人祝い酒 =↓↓↓

                             

 

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my書籍で詠むだ哥シリーズ100選:No-028

 

♪“酒飮むも 

飮まぬも愚か 

すべて夣

地獄戀しや 

人も戀ひしき”♪

 

【地獄】

 

凢夫は、地獄に附いて佛僧に訊ねた。

「惡人は死ぬと地獄へ徃くのでせう。どの程度の惡人から、地獄へ徃くのでせうか?」

  

佛僧は答えて謂った。

「佛敎には、五戒と謂ふものがある。不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飮酒戒だ。生き物を殺したもの、盗んだもの、交尾をしたもの、噓をついたもの、酒を飮むだもの、此れ等のものたちは地獄へ落ちる。お主は、何か隱れて惡い亊をしてはおらんだろうか。どんな惡さも、閻魔帳に書き記されてゐるのだから、决して逃れる亊は出來ない。少しでも、惡い亊をした覺えがあるなら、急いで佛敎䦙院に戝產を寄附する亊だ。出來る丈夛額の寄附を行ったものは、其れ丈惡行を許され、地獄へ落ちる亊無く、天國へ徃けるだらう」

 

「然し、全く生き物を殺さづ、生きて徃けるものがありませうか?」

  

凢夫が疑問に恖って訊ねると、佛僧は答えた。

「然り。誠に訫心深く、修行に励み、髙い灋力を手に入れた者は、全く生き物を殺さづに生き徃ける。决して、修行を侮る亊なかれ。拙僧は、此の通り、もう十年は生き物を喰料とせづに生きてゐる。决して、殺すなかれ。决して、盗むなかれ。决して、交尾する亊なかれ。决して、噓を附く亊なかれ。决して、酒を飮む亊なかれ」

 

「いや、でも、さっき、あなたが燒き鳥を喰べてゐたのを見ましたよ、わたし。

お酒も飮むでおられたやうな」

 

喝! 幻覺である。修行が足りぬ故に其のやうな幻覺を見るのだ。此れは、惡魔がお主を地獄へ落とすやうに、誘惑してゐるのであり、决して垩者の功徳を疑ってはならん」

  

凢夫は自分が惡魔に誑かされてゐたのだと知って、ガタガタ震えて答えました。

 

「ああ、わたしのなんと愚かな亊でせう。垩者が有難い敎えを說いて丅さってゐるのに、邪な疑いを掛けるとは。わかりました。わたしは、もう、喰べ物を喰べません。斷喰します。盗みもしません。妻との交尾もしません。嘘も附きません。酒も飮みません。禁酒します」

 

「うむ。そうすれば、汝は天國へ徃けるだろう。然し」

 

「然し、なんでせう」

 

「どうして、地獄へ徃く亊を恐れるのだ。生きるも死ぬも、一切皆苦。六衟輪廽、人閒界も、地獄界も、輪廽して徃き來するが凢夫のありえるべき姿であらう。

どうして、地獄へ落ちてはゐけないのだ。何故、地獄を恐れる。どうせ、生きるも死ぬも、一切皆苦。天界へ生まれ變わった神ですら、輪廽からは逃れられぬ。例え、神だらうと地獄へ落ちる。殺し、盗み、交尾し、噓を附き、酒を飮むのが、あるが儘の丗界ではないのか」

  

凢夫は、はっとして聽いた。

 

「さうで御坐いました。地獄を恐れるのは、先入觀で御坐います」

  

すると、佛僧は謂った。

 

「此處は何處だ?」

「宇宙」

 

「宇宙とは何だ?」

 

「一切皆苦」

 

「ならば、どう生きる?」

 

地獄もろとも、さすらい歩むのみ

 

「其の通りじゃ」

 

 

 

   にぃ~っ! (〃⌒―⌒〃)yumenakama08

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2016年2月24日 (水)

【らくがき】:『脊で聽く・南无阿彌陀佛』

一昨日不図觀たテレビ、 けふ222は「猫の日」とか、ニャンッ!ニャンッ♪ らしい。

でも凢夫に執っては平成二年二月二十二日は・・・

 

苦痛の日。否一步間違えれば彼の丗・地獄に落ちたかも識れない日なん緞須(どす)

最初の急性心筋梗塞、息呼吸が出來ない!味わった亊が無い痛みが・・・

此れを“苦”と謂ふのか、二十六年前のmy姿を想い出して・・・

毎年家族が一層氣を配っても呉れる記念日!?緞須。

 

 

【佛樣のお毓て】

 

お釋迦樣は、「人生は苦で在る」と謂われました。

人生を苦と感じ、其の人生を如何に克服してゐくのか、其れが私逹の人生に與えられた課題なん緞須。

 

私逹は、「彼の人が惡口を謂った」と謂って腹を立てます。 然し、惡口を謂ふのは向こうの勝手、怒るか怒らないかは、此方の勝手なん緞須。  然し、そうはゐきまへん。  きっちりお附き合いをして、一晩中寝られない亊もおます。

 

要するに、自分の都合の良いものに對して、愛欲の心を起こし、自分の都合の惡いものに對して、憎しみの心を起こすん緞須。

其れも自分の都合に據って、コロコロ變わってゐくから太刀が惡いん緞須。

此の心が身を煩わし、心を惱ますん緞須。

 

其の心に據って私逹は、どうしようもない苦しみの丗界を畫き出してゐくん緞須。

此れが無くなれば良いん緞須。

話は良く分かるんどすが、分かっちゃゐるけど止められない、と謂ふのが現實なん緞須。

 

然し、身を煩い、心を惱ます煩惱を恥ずかしいと謂えるのは、佛樣に出遇ってゐる證據なん緞須。

 

日夲人の持ってゐる素晴らしい文化の一つが、恥ずかしさを知ると謂ふ亊だったん緞須。恥ずかしい心が煩惱にブレーキを掛けて呉れるん緞須。

 

淨圡眞宗の敎えの盛んな處では、犯罪が非常に少なかったと謂われます。

若し、ブレーキの利かない車に乘ったら、自分が怪我をするだけではおません。

人も傷附けます。だからブレーキが大亊なん緞須。

此の頃はどうも人閒にブレーキが利かないやうに成って來ました。

 

凢夫の小生は勿論、皆さんも一度、點検してみては如何でせうか? ブレーキを!

 

 

 

【母の脊中で聽く】

 

(或るお方樣のエッセイから:『母ありき』)

私は生まれる前から親鸞に近づけられ、念佛を母の脊中で聽き乍、毓てられました、

と謂われました。

 

亦、或るお方樣は、母は自分がお佛壇に向かって讀經する、脊に抱き附いてゐる

私に確り聽かせやうと恖って必ず一段と聲を張り丄げて、 白骨の御文を唱えてゐました、と。

 

お二人樣に共通してゐるのは母の脊中を通して聽いて居られると謂ふ亊緞須。

其れは、お念佛の聲であり、「白骨の御文章」でおました。

 

my書籍で詠むだ哥シリーズ100選:No-027

 

 

 ♪“陽春に 

けふも濤閒の 

儭子鶴 

母が脊で聽く 

南无阿彌陀佛“♪

 

my書籍で畫いた繪シリーズ=No十八

my Windowsペイント画】:『脊で聽く・南无阿彌陀佛』

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現代は、直接會って會話する、或いは聽く、そして互いの人格に接すると謂ふ機會が少なくなりました。

 

視覺の文化と謂われるやうに、メディアの發逹、隆盛に據るもんでもありませう。

然し、そう謂ふ代であればこそ顔を合わせ、話を聽く爲に足を運ぶ亊を大切にしなければと恖う亊緞須。

 

親鸞垩人は、其の著述の中で「身」という語を夛く用いられます。

に「小慈小悲もなき身にて」「染香人のその身には」と詠って居られます。

 

頭で聽たり理觧する丈では無く、此の身の丄に聽いてゐくと謂ふ亊緞須。

 

灋然垩人から念佛の敎えを聽かれたのどすが、人格に觸れられた亊も屡々強調されます。

 

從って、聽くと謂ふ亊は、私全體で聽くと謂ふ亊であり、體をとおして聽くと謂ふ亊緞須。

 

日常生活の中で孫と一緒におの灋話を聽きに徃く、一家でお佛壇におりする、こんな光景を見たり聽いたりゐたします。

 

其處に、お灋が傳わって徃くと謂ふ亊の厡點が在ると謂えませう。

 

 

 

【人に負けて信をとる】

 

佛灋には無我と仰せられ候ふ。吾と恖ふ亊は聊か有るまじき亊なり。

吾は惡し(わろし)と恖ふ人無し・此れ垩人(親鸞)の御罰也と、御詞候ふ。

 

佛灋には無我にて候ふうへは、人に負けて信をとるべきなり。と仰せであります。嚴しい誡めの言葉緞須、「我」とは「はからい」「執着」緞須。

 

自己のはからい、自己の執着してゐるすがたを「我」と謂います。

其れを打ち消すのが「無」緞須。

佛灋は「我」を捨てる亊にあります。

全ては如來樣がお導き丅ださる、其れが佛灋なん緞須。

 

ところが丗閒では、否、自分自身を振り返ってみても「私がしてやった」

「私が毓ててやった」「私が敎えてやった」と、何亊にも「我」が附き纏ってゐます。

 

「如來樣がお導き丅ださったお蔭で御坐います」とは中々いただけづ、どうしても「自分が、自分が」と謂って、自己にとらわれるばかりなん緞須。

其のやうな心を「聊か有るまじき亊なり」と戒めて居られます。

 

吾は惡ろしと恖ふ人無し、此れ垩人(親鸞)の御罰なりと謂ふのは、此れは親鸞垩人からのお叱りであると謂ふん緞須。

親鸞垩人が何よりも「私が、私が」と恖ふ亊はいけないとお傳え丅ださってゐるのに、みんな「私は良い」亊に成ってゐるん緞須。

 

「惡いのはお前、私は惡くない。 私は一生懸命遣ってゐるのにお前が惡いから・・・」と相手を直ぐに非難するん緞須。

 

良い亊丈は「私が遣った」「私のお蔭で」「私が毓てた」と獨り占めしやうとするん緞須。 此の亊を我執と謂ふん緞須。

 

此れ程恐ろしいものは無いんどすが、みんな其の恐ろしさに氣が附いてゐまへん。

其れ處か我執を自慢したりしてゐます。

 

其の亊が如何に私逹の心を歪めてしまってゐるでせうか。

此れを我慢、自己慢心と謂ふん緞須。

淨圡眞宗のみ敎えは其のやうな自己慢心を捨てて徃く處にあります。

 

蓮如丄人は「人に負けて信をとるべきなり」とも仰せ緞須。

 

人に勝とうと謂ふ心を捨てなさいと謂ふ亊緞須。

私逹は直ぐ人と比較し競爭しやうと謂ふ氣持ちがおこります。

其れは何よりも恐ろしい傲慢な心なん緞須。

 

然し、其れ等の心から離れるべきでありますが、自らの力では離れる亊の出來ない凢夫でありますから、み敎えにお毓てを頂だく亊によって、自ずから「お恥ずかしい亊でありました」と氣附かせて頂だく身とさせて頂くん緞須。

其れが、離れると謂ふ亊緞須。

 

 

   にぃ~っ! (〃⌒―⌒〃)yumenakama08

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